top of page

検索結果

空の検索で86件の結果が見つかりました。

  • 駆け足で巡る(高知編)|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)

    #010-02 駆け足で巡る(高知編) |previous| |next| ​ 岡山市内から高知県までは高速道路を利用して2時間強。日帰りで行けないことはない距離です。今回は広い高知県の中心部、高知市内を巡りました。まずは現存天守の高知城周辺から。 高知城天守閣(01~05)、高知県立文学館(06)、高知県立高知城歴史博物館(07~10)を訪問。 続いて、300年以上の歴史を持つ土佐の日曜市へ。追手筋には歴史のある高等学校の時計台と工事中のおもしろそうな建築物がありました。 オーテピア(11~14)、高知県立高知追手前高等学校(15)。 01 高知城周辺。追手門。穴太衆が関わったとされている。城内で最も巨石が多くみられる場所。 02 天守閣と板垣退助像。「板垣死すとも自由は死せず」という有名な言葉も刻まれている。 03 石樋。今も昔も高知は降水量が多い土地。「雨仕舞」は敵からの防御と並び重要であった。場内には多くの水路があり、石樋で排水していた。 04 天守閣。外観四重(内部三層六階)高さ18.5mの望楼型天守。 05 北側から天守閣を見る。「石落とし」と「忍び返し」が見える。 06 1969年に開設された高知県立郷土文化会館が前身。後楽園内にも岡山県立博物館(1970竣工)があるように、文化施設などを城内に設ける例は全国に多く見られる。 07 高知県立高知城歴史博物館。2017年3月オープンの新しい文化施設(設計:(株)日本設計)。 08 菱形のモチーフが各所に用いられている。 09 菱形格子鉄骨+ガラスのカーテンウォール。石積みは高知城の石垣を意識したものか。 10 南西から見る。仕上材には県産材(土佐檜、土佐漆喰、土佐和紙、土佐打刃物)を積極的に採用している。 11 オーテピア(西側より)。2018年7月オープン予定の図書館等複合施設。 12 設計:佐藤総合計画・ライト岡田設計JV、施工:大成建設・ミタニ建設工業・有生JV。 13 日曜市に隣接しているためか、建物は完工していないが、トイレは解放されている。 14 「大きな樹」をイメージした外装。特徴的な意匠のパネルはGRC(ガラス繊維強化セメント)木目化粧パネル。内装には高知県産木材、土佐漆喰、大理石、土佐和紙が使用されている。 15 高知県立高知追手前高等学校。オーテピアの向かいにある高等学校。新しいモノと古いモノと日曜市。 ギャラリーから出ました 最後は五台山にある四国霊場第三十一番札所、竹林寺と高知県立牧野植物園へ。緑がいっぱい!竹林寺の山門、苔庭などを鑑賞(16~18)。寺内にある納骨堂へ(19~25)、名勝庭園へ(26~30)。​竹林寺に続いて高知県立牧野植物園へ(31~39)。 16 竹林寺山門。仁王像は江戸時代の作。 17 山門を抜けると美しい苔がひろがる。 18 階段と石畳を通って本堂へ。 19 本堂西側に納骨堂(設計:堀部安嗣、2013年)がある。 20 ポーチより通路を見る。 21 通路からポーチを見る。 22 20m強の通路の両サイドに納骨室がある。 23 建物の一番奥に水庭がある。 24 木々に覆われており、全景を望むことができないが、このアングルは庇等が美しい。高知県産材のスギ、土佐漆喰等を用いている。 25 ポーチを下から眺める。納骨室は採光と通気を考えて、下部に空洞ブロックを用いているのが分かる。 26 名勝庭園。夢窓疎石により作庭されたと伝えられている。 27 北庭。南国らしい豪快な石組が気持ち良い。 28 右に見えるのが小書院。奥に瓢形の池がある。 29 西庭。中国の廬山と鄱陽湖を模したとされている。 30 室内から庭を眺める。この二つの庭は高知県三名園のひとつに数えられている。 31 高知県立牧野植物園正門。石積みも良い感じ。 32 土佐の植物生態園。植栽されて多少の年月を経ているので、自然植生ではないが心地よい空間になっている。 33 牧野富太郎記念館本館(設計:内藤廣、1999年)。 34 牧野富太郎記念館本館。高知県産材を多く使用している。テラスの床は高知県産のヒノキ材。 35 牧野富太郎記念館展示館。建物の影と植栽、曲線の塩梅がとても素晴らしい。 36 牧野富太郎記念館展示館。展示館内。高知県産のスギ材を主に使用。 37 牧野富太郎記念館展示館内の中庭。牧野博士ゆかりの植物が約250種植栽されている。 38 カルスト型植生園。高知県には石灰岩地帯が広く分布しているとのこと。石灰岩地帯に生育する植物を収集、植栽している。 39 温室。2010年にリニューアル。色鮮やかな熱帯花木、熱帯果樹など一年を通して楽しめる。 ギャラリーから出ました ​ 今回、新しいモノ、古いモノを各所で見学しましたが、新しいモノにスポットを当ててみると「地域の特性を生かした空間づくり」というキーワードが浮かんできます。即ち、牧野富太郎記念館(1999年竣工)では県産のスギ材やヒノキ材、土佐漆喰が、竹林寺納骨堂(2013年竣工)では県産のスギ材や土佐漆喰が、高知城歴史博物館(2017年竣工)では県産のヒノキ材、土佐漆喰、土佐和紙、土佐打刃物が、オーテピア(2018年竣工予定)では県産の木材や土佐漆喰が用いられています。高知県は面積の約8割を林野が占める全国屈指の森林県です。その特性を生かし地元産の木材を多く使用し県内の経済を活性化させる。県内外から施設を訪れた人々は高知県の木材の利用度の高さ、バリエーション、技術などを見聞きし、質の高さを感じるのです。今回は見学できませんでしたが、高岡郡檮原町にある隈研吾氏が設計した建物群も地元産の木材を多く使用しています。今回見学した施設の竣工年で考えてみても、約20年間、様々な場所で様々な技術を駆使して県産の木材が使用されてきたと言えるでしょう。もう一つは、伊豆の長八美術館(設計:石山修武、1984年)以降に注目を浴びた「土佐漆喰」。全ての施設で土佐漆喰が用いられている驚き。伝統を継承していく強い思いを感じます。また、自然災害(暴風、豪雨、洪水、高潮、地震、津波等)が多い地域でもありますので、それらも考慮に入れ、現在考え得る最新技術と前述の伝統技術を巧みに融合させて施工を進めている施設が多いと感じました。 竹林寺は現在、本坊・位牌堂建替工事中です。2018年12月竣工予定ですので、2018年4月にグランドオープンした高知県立坂本龍馬記念館と合わせて再度訪れなければならない!と思いました。 ​ 参考資料:各所のパンフレット、「藤森照信、素材の旅」、「藤森照信の美術館三昧」他 訪問日:2018年3月31日、4月1日 To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.

  • 再訪、万博記念公園(その3)|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)

    #013-03 再訪、万博記念公園(その3) |previous| |next| ​ EXPO’70パビリオン(万博開催当時は鉄鋼館)を見学した後は園内を散策。夢の池(01~05)にはイサム・ノグチ作品が。​それ以外のイサム・ノグチ作品を#004-01 イサム・ノグチについて で紹介していますが、この時代の建築家+芸術家のコラボレーションがよく分かる作品をこの機会に紹介いたします。坂倉準三の建築とイサム・ノグチの作品が楽しめる神奈川県立近代美術館(1951年竣工、06、07)。中庭にノグチ作品が。もう一つは岡本太郎記念館(08~19)。坂倉準三が岡本太郎の自邸兼アトリエを設計(1953年竣工)し、現在は一般開放されています。 01 イサム・ノグチによる噴水塔群。博覧会当時は、6種9基の噴水が設置されたが、博覧会終了後、水中に「うず潮」を起こす噴水1種3基は撤去された。 02 手前が「惑星」、奥が「彗星」。 03 右から「コロナ」、「彗星」。黄色いキノコの様な「宇宙船」、円筒形の「星雲」、太陽の塔、「惑星」の計5種が残っている。 04 噴水が稼働している時の画像はあるが、今は稼動していない。実際見た人たちはその迫力に驚いたことだろう。 05 画像は無いが「月の世界」というイサム・ノグチの作品が他にある。次回は撮影し記録したい。 06 神奈川県立近代美術館。中庭の中央にイサム・ノグチ氏の「こけし」(1951年、神奈川県)が展示されている。 07 老朽化や耐震性の問題等から2016年に閉館。2019年6月、「鎌倉文華館鶴岡ミュージアム」としてオープン予定。良かった。 08 岡本太郎記念館。エントランス周辺部。 09 庭の中に様々な作品が。こちらは「犬の植木鉢」。 10 「若い太陽」、「坐ることを拒否する椅子」、奥に「めばえ」のミニチュアが。緑のモザイクタイルが渋い。 11 二階バルコニー部のグリーン色の手摺の造形が面白い。不定形の造形物と定形の造形物の対比。 12 「母の塔」、「歓喜 or 歓喜の鐘」等の縮小作品も。 13 室内も撮影可。オブジェや壁画の他に、「手の椅子」、「IRODORI ISU」、「坐ることを拒否する椅子」、といった家具も展示されている。 14 太郎のマネキン?「河童神像」、「歓び」、「こどもの樹」のミニチュアも。壁には「光る時計」が。窓際には「駄々っ子」というベンチもある。 15 寒河江市庁舎(設計:黒川記章氏、1967年)にある光る彫刻作品「生誕」が設置されている。 16 描かれているのか、いないのか、完成しているのか、いないのかは分からないが、奥に膨大な数の絵画が。 17 「IRODORI ISU」に金色の「太陽の顔」がドンっと置かれている。 18 テーブルの上には「若い時計台」、「神話」のミニチュアなどの面白い小物がたくさん。 19 今でも使われていそうな雰囲気。ゴルフバックもそのまま展示。 ギャラリーから出ました ​ 噴水がある夢の池と太陽の塔の近くに、大阪万博開催時に使用された大屋根の一部(20、21)が展示されています。大屋根のデザインを担当したのが丹下健三氏、その丹下健三氏の研究室に所属していたのが、黒川紀章氏。そして大阪万博終了後の跡地利用の一つとして計画された国立民族学博物館(22~26)を設計したのが黒川紀章氏。色々なつながりを感じます。黒川紀章氏の作品(27~29)もこの機会に少し紹介いたします。 20 大屋根の一部。今は太陽の塔の背後にあるが、開催当時は地上30m、平面108m×290mという巨大な屋根で、太陽の塔(高さ70m)はそれを貫く形で据えられた。 21 丸形のジョイント(ボールジョイント、鋳鉄製)をパイプでつないだトラス構造で、スペースフレームと呼ばれた。この大屋根と太陽の塔の左腕はエスカレーターで結ばれ、空中テーマ館(設計:黒川紀章)などへ導いた。 22 国立民族学博物館。水盤がひろがる(見学時、水はなかった)メインエントランス。 23 設計は黒川紀章氏。1977年竣工。メタボリズムの思想に基づき、何度か増改築を繰り返している(79年、81年、83年、89年等)。 24 施設の中心にある中央パティオ「未来の遺跡」。外に出られないのが残念。 25 「未来の遺跡」その2。メタル色の円筒形は、室内では、ビデオテークという映像展示ブースになっている。 26 「未来の遺跡」その3。 27 門司港レトロハイマート。1999年竣工(設計:黒川紀章氏)。景観紛争が起こったが決着の方法が滑稽にみえた。 28 和歌山県立近代美術館。1994年竣工(設計:黒川紀章氏)。バブル期の予算で建設されたためか、凝った意匠となっている。しかし・・・。訪問時、カフェは閉館中。水盤に水は無く、さびしい感じが・・・。 29 和歌山県立博物館。1994年竣工(設計:黒川紀章氏)。和歌山県立近代美術館に隣接している。近代美術館、博物館共に規模は大きい。 ギャラリーから出ました 大きなイベント会場の跡地利用を目の当たりにすると、「夏草や兵どもが夢の跡」という句がどうしても浮かんでしまいます(そのイベントの熱量が大きければ大きいほど・・・)。太陽の塔が大幅に修復されクローズアップされ、商業的に成功している現状で、EXPO’70パビリオン、夢の池、国立民族学博物館を見てみると経年変化と商業的な差の大きさを感じます(意図や用途が異なる為、それぞれを同じ土俵に上げるべきではないかもしれませんが・・・)。何度かこのコラムで取り上げていますが、「建築物及びその周辺修景物そのものの価値と商業的な価値とのバランスをどうとるか?」は常に考えさせられる問題です。ここにある1970年代につくられた建築物等が、耐震補強等の修繕を行い継続利用する or しないの岐路に立たされた時、芸術的、学術的な重要性の他に商業的な部分も含まれるとすると、三つの中で取り壊される可能性が高いのは、残念ながら夢の池のイサム・ノグチ作品になりそうで・・・。園内を歩きながらそんなことを思ってしまいました。 できあがったモノや空間が悪いというわけでもなく、利用方法も悪いわけではないのに何故かさみしい感じがするのは、訪れた日が冬の平日だったからかもしれません。 参考資料:「大阪万博-20世紀が夢見た21世紀」、「岡本太郎にであう旅 岡本太郎のパブリックアート」、「建築家坂倉準三 モダニズムを住む|住宅、家具、デザイン」、「CASA BRUTUS EXTRA ISSUE 新説・あなたの知らない岡本太郎」、「CASA BRUTUS EXTRA ISSUE 日本の美術館ベスト100ガイド」、「CASA BRUTUS No.133」、「藤森照信の特選美術館三昧」、「各種パンフレット+Web.」他 訪問日:2019年1月22日 To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.

  • 大人楽しいミュージアム|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)

    #012 大人楽しいミュージアム |previous| |next| ​ 前々からここにあることは知っておりました。が、通り過ぎることはあっても立ち止まることの少ない新神戸駅周辺。今回、「聴竹居 藤井厚二の木造モダニズム建築」展(2018年5月12日~7月16日)が開催されていることを知り、初めて竹中大工道具館を訪れました。 竹中大工道具館へ。入るまでの道中に興味深い箇所がたくさんある(01~11)。館内は外国人と大人が楽しめる場所が満載(12~25)。竹中大工道具館の奥には落ち着けるスペースが(26~33)。 01 入り口通路から竹中大工道具館を見る。足元の基礎が見えない→浮遊感の演出。 02 この銘板、左側浮いていて、右側のサツキで隠れている所で地面と接している→浮遊感の演出。 03 今回は企画展、聴竹居 藤井厚二の木造モダニズム建築(2018.05.12-07.16)を見学する目的で訪問。 04 門の両サイドの石積みが良い感じ(その1)。 05 門の両サイドの石積みが良い感じ(その2)。 06 正門全景。意匠も見事。 07 通路の石張も横目地を揃えつつ、大小さまざまなサイズの石を敷き詰めている。 08 建物入り口周辺の落ち着いた空間。管理も行き届いている。 09 柱周辺のおさまり。鎖樋もしぶい。 10 手摺と外階段。これらも浮遊感の一役を担っている。 11 方形石張のテラススペース。目地がない。目地の無い箇所から水を下へ流している模様。 12 ホワイトオークの一枚板をくり抜いた階段。段板の両サイドのおさめが外階段と同じデザインになっている。 13 土壁を鏝(こて)で削り出した大壁。 14 唐招提寺金堂組物の実物大模型。すごい迫力。 15 当時の図面等も展示されている。素晴らしい。棟梁の仕事は多岐にわたっている。 16 尺表記が多いが、メートル表記もある。変換するだけでも一苦労であっただろう。 17 B1階の中庭をみる。軽やかな空間。分かり難いが達磨窯で焼かれた淡路の敷瓦が施されている。 18 外国人観光客が最も興味を持っていた場所。継手仕口(つぎてしぐち)は日本建築の発達を支えた技。これは「腰掛鎌継ぎ」。 19 その他、多種類の継手仕口が展示されており、触って構造を確かめる事ができる。 20 「木を生かす」コーナー。代表的な樹木(スギ、ヒノキ、クリなど)の木目と樹皮、鉋屑などが展示されている。触って匂いを感じる事ができる。木によって性質が全く異なる。 21 B2階の中庭。サイズ、厚みの異なる方形石が敷き詰められている。おそらく花崗岩で、神戸市なので御影産? 22 休憩用の木製ベンチ。二つに分かれるが、合わせると一枚板っぽい。 23 見事な組子細工の明障子。 24 茶室のスケルトン模型「蓑庵」。 25 原寸で見る事ができる。バックヤードもきっちりと再現。 ギャラリーから出ました 今回の研修は三つの見どころがありました。一つは聴竹居(1928年竣工)について。展示物の撮影はできませんので画像はありませんが、設計者の藤井厚二氏(1888-1938)の考えに触れ、実物を見てみたいという気持ちがより強いものとなりました。竣工年から約90年を経て、今の生活と合わない部分もありますが、再認識される部分の方が多いように感じました。日本の気候風土に適した住宅をつくることは、劇的な気候変動を体感している今、熟考すべき課題です。安全・美観・快適等の要素を深く考え、それらを加味した住宅の必要性を強く感じました。資金に関してどうされていたかは分かりませんが(実家からの援助があったのでは?)、聴竹居は5つ目の実験住宅です。建築、特に住宅に関して研究を深めた氏の熱意もさることながら、5つ作らなければ理想の住宅を作ることができないという事実は、住宅の難しさ、奥深さを示しています。叶わぬことですが、もしも1945年以降もご存命であれば、6つ目、7つ目と理想を求められたのではないかと想像しています。 二つ目は常設展です。ここは時間の許す限り楽しんでもらいたいスペースです。触って、嗅いで、勉強になる、まさに大人が楽しめるミュージアムです。展示物の撮影が可能ですので、外国人観光客がほぼ全ての展示物を写真におさめていたシーンが非常に印象に残っています。また、建築関係の仕事に就いておられるであろう方々が多いのも他のミュージアムにはない特徴です。いずれにしても再度訪れてみたい場所の一つとなりました。 三つ目は展示物以外の設えについてです。スーパーゼネコン〔年間売上高1兆円を超えるゼネコンがスーパーゼネコンと呼ばれています。(株)大林組、鹿島建設(株)、大成建設(株)、清水建設(株)、(株)竹中工務店の五社がそれに当ります。〕の一つ、竹中工務店の技術を余すことなく発揮しているのが展示物以外の設えです。通路、扉、階段、天井、壁などなど、見どころ満載です。正解かどうかは分かりませんが、裏テーマは浮遊感ではないかと思っています。入口にある竹中大工道具館の銘板は、サツキの植込みに水平に刺さるように設置されています。竹中大工道具館の建物は、周辺を方形石のテラスが囲み基礎部分が見えにくくなっています。外階段も中の木製階段も一段一段、段板が分かれており浮いているようです。展示室は1階から降りてB1階、B2階という順路を辿ります。吹き抜け箇所あったり、B1階の中庭とB2階の展示物が同時に見えたり、B2階の中庭の大壁が1階近くまで垂直に延びていたり・・・とドラマチックな立面構成で浮遊感を演出しています。最奥の休憩室の坪庭にある景石は、砂紋を描く化粧砂利とは接さず、植栽帯から水平に飛び出ており浮遊している様です。これらの浮遊感を随所にさりげなく見せることで技術力と想像力を来訪者に示すことに成功していると感じました。 ​ 参考資料:「聴竹居 藤井厚二の木造モダニズム建築」、「TAKENAKA CARPENTRY MUSEUM 常設展示図録」、「ひととき 特別版」、「各種パンフレット+Web.」等 訪問日:2018年6月26日 To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.

  • 県内の良い処、旧閑谷学校へ|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)学校

    #008-03 県内の良い処、旧閑谷学校へ |previous| |next| 岡山市中心部から車で約1時間。備前市にある旧閑谷学校を訪れました。 駐車場から旧閑谷学校へ(01~10)。チケットを購入し構内へ(11~24)。隣接している椿山、御納所(25~28)と少し歩いて黄葉亭(29)へ。 01 校門(鶴鳴門)を見る。手前の低い囲いは泮池(長方形)になっている。ちなみに泮池が長方形の場合は「一」を意味し、俗界と隔絶遮断する決意を表しているとも言われている。 02 駐車場から見る。芝生、泮池、石塀の対比が美しい。 03 石橋を渡って、鶴鳴門へ。※池の此岸が俗界、彼岸が修行界。池に架かる石橋を渡ることは、俗界を離れ、修行に徹する特別な世界に足を踏み入れる覚悟を意味することになるので、石橋が重要な役割を担う。 04 門を見つつ、石塀に目が行ってしまう。 05 石塀の角の納まりも美しい。 06 鶴鳴門の瓦は備前焼。どことなく中国風。 07 駐車場から泮池、石橋を渡った正面に鶴鳴門。門をくぐった先に聖廟があることから、鶴鳴門が聖廟の正門として建てられたことが分かる。 08 長さ765mにも及ぶ石塀。圧巻の佇まい。 09 延々と続く石塀。カットされた石が見事におさまっている。技術力の高さがうかがえる。 10 石塀の西の角。ここから北へ石塀が登って行く様は爬虫類の尻尾がニョルニョロと動きながら登って行くようにも見える。 11 構内へ。東側の閑谷神社(池田光政を祀る神社)を見る。 12 二本のカイノキの奥に聖廟がある。カイノキはこの施設のシンボル的存在で紅葉の時期は多くの観光客が訪れる。 13 聖廟の中は見る事ができないが、拝殿と大成殿を結ぶ廊下は見る事ができる。六角形のなまこ壁? 14 カイノキと講堂を見る。 15 講堂全景。 16 靴を脱いで講堂内に入ることができる。 17 花頭窓が印象的。 18 拭き漆の床はピカピカ。維持管理が見事に継続されている。 19 習芸斎から石塀を見る。印象的な光景。 20 小斎。現存する構造物の中では最も古いとのこと。 21 外から習芸斎を見る。 22 文庫。 23 石塀と火除山に挟まれて、資料館へ。 24 閑谷学校資料館。1905年竣工。 25 約400本のヤブツバキが植栽されている椿山。木々のトンネルが不気味でもあり、幻想的でもあり魅力的。 ギャラリーから出ました ある一定の年齢の岡山県人は小学生か中学生の時に必ずここ旧閑谷学校へ宿泊し、論語の勉強を行ったそうです。私は県内出身ではありませんので体験していませんが、体験した知人は夜が怖かったことしか覚えていないそうです。その時、その場がどれほど有意義な空間、時間であったかは、気付かず過ぎてしまうことが多いという一例かもしれませんが、今となっては大変貴重で羨ましい体験だったと思います。旧閑谷学校は1670年、岡山藩主池田光政(1609-1682)によって創建された、現存する世界最古の庶民のための公立学校です(御納所、椿山の造営を入れると1702年まで工事が続いた)。岡山の観光地の一つ、後楽園の竣工が1700年なので、池田光政、息子の池田綱政(1638-1714)時代が名所建築ラッシュだったといえるでしょう。藩主の意向を受け、旧閑谷学校、後楽園、両方の造営に深くかかわったのが津田永忠(1640-1707)でした。他に新田開発、用水開発、曹源寺、吉備津彦神社社殿の建設等、今の岡山の礎を創った一人と言える人物です。黄葉亭の途中に津田永忠宅跡があります。造営中の1673年に転居し岡山に戻る1680年までの7年間、近くで建設に携わっていたことを思うと、他の事業よりもこの閑谷学校の造営が永忠(もしくは池田光政か岡山)にとって最も重要な事業で、かなり力を注いだことが窺えます。 現在、旧閑谷学校は「日本遺産 第一号」に認定され、さらに世界遺産に!という気運が高まっています。もしも光政公が「山水清閑にして読書講学の適地なり、ゆくゆくは学校に仰せ付けるべし」と永忠に内意したのであれば、観光客でいっぱいになった旧閑谷学校を見て、喜ぶのであろうか?、嘆くのであろうか?それは、世界遺産に認定されて、観光客がいっぱいになってから考えることとします。 ​ 参考資料:「日本建築集中講義」、「意中の建築 上巻」、「各種パンフレット+Web.」他 訪問日:2018年10月19日 To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.

  • 岡山の街、変わる?|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)

    #015 岡山の街、変わる? |previous| |next| 建物の老朽化等に伴い、古いモノと新しいモノの機能の変換がそこかしこで行われています。岡山も例外ではなく、今回掲載する岡山市民会館、隣接のRSK会館やその他、岡山県警本部庁舎、岡山市役所本庁舎、イトーヨーカドー跡地再開発、駅前再開発等の着工、計画が進んでいます。また、新しい文化の風を岡山市に吹き込もうと2016年から岡山芸術交流(岡山市で3年ごとに開催される国際現代美術展)が始まり、二回目となる「岡山芸術交流2019 IF THE SNAKE」は2019年9月27日(金)~11月24日(月)まで行われました。会期終了後も見学、鑑賞、活用できる場所がありますので今回紹介いたします。ハード、ソフト両面で、岡山の街は変わる? 岡山市民会館から岡山芸術創造劇場(仮称)へ生まれ変わる(01~06)。岡山市民会館に隣接するRSK会館も新社屋を建設中(07、08)。続いて「岡山芸術交流2019」終了後も見学、鑑賞、活用できる場所(09~19)へ。 01 岡山市民会館。南西側から建物を見る。正八角形の外壁に囲まれた多目的ホール。設計は佐藤武夫設計事務所〔現(株)佐藤総合計画、1964年〕。 02 南東側の石畳から建物を見る。奥にシンフォニーホール(設計:芦原義信、1991年)が見える。 03 会館の内部。光を受けたモザイクガラスのデザイン(建築家、岩淵活輝による)が美しい。 04 北西側から建物を見る。奥にRSK会館が見える。 05 以前、#010-02でも紹介したオーテピア。2018年7月にオープンした高知市にある図書館等複合施設。設計は、(株)佐藤総合計画+(株)ライト岡田設計。 06 2020年1月16日現在、建築中の岡山芸術創造劇場(仮称)。 07 RSK会館。岡山市民会館の南側に位置する。こちらも設計は佐藤武夫設計事務所〔現(株)佐藤総合計画、1962年〕。 08 建築中のRSK 新社屋(2020年1月16日現在)。 09 「A&A TUBE」。2016年開催時は「A&A」プロジェクト概要を発表するパビリオンとして設置された。 10 A&Aとは、”現代美術アーティストと建築家(アーキテクト)がタッグを組んでデザインした宿泊施設を作っていくプロジェクト”の意で、2020年現在、2棟だが、A&Aライアンアオキ、A&Aフィリップフジモト、A&Aリクリットワン等今後の展開にも触れている。 11 「A&A TUBE」全景。今回は自由に触れて遊んでいただける”遊具”として再登場。設計はA&Aアドバイザーの青木淳氏。 12 A&A リアムフジ(リアム・ギリック×マウントフジアーキテクツスタジオ)。 13 以前#002-02でも紹介したマウントフジアーキテクツスタジオ設計のSeto(2013年)。 14 A&A ジョナサンハセガワ(ジョナサン・モンク×長谷川豪建築設計事務所)。 15 岡山神社にある「木製格子が交差するハーフミラー」(ダン・グラハム作)。 16 石山公園にある「遅延線」(メリッサ・ダビン&アーロン・ダビッドソン作)。 17 城下地下広場にある「多面体的開発」(リアム・ギリック作)。 18 岡山ランドリービルにある「より良く働くために」(ペーター・フィッシュリ ダヴィット・ヴォイス作)。 ギャラリーから出ました 岡山市民会館の竣工は1964年、RSK会館は1962年です。その当時は建設ラッシュ(東京オリンピック前後)で、1957年の岡山県庁舎(設計:前川國男)に始まり、岡山市では岡山県天神山文化プラザ(1962年、設計:前川國男)、林原美術館(1963年、設計:前川國男)などが、倉敷市では1960年の倉敷市立美術館(旧倉敷市庁舎、設計:丹下健三)に始まり、大原美術館分館(1961年、設計:浦辺鎮太郎)、倉敷国際ホテル(1963年、設計:浦辺鎮太郎)、倉敷ユースホステル(1965年、設計:浦辺鎮太郎)などが、津山市でも津山文化センター(1965年、設計:川島甲士)が竣工しています。ここからは私見ですが、1957年に大きな象徴としての県庁舎が完成し、威厳と新しい時代の幕開けをドーンっと示しました。その後、近辺に建築物を設計していく場合どうするか?一つの答えとして「地域密着型+対立しない」が挙げられます。県庁舎よりも若干岡山城と後楽園に近い、県庁舎ほどゆとりのあるアプローチが取れない、機能上+美観上高層にする必要性がないなどから、外観(地域性を意識した外壁材料の採用や正八角形の形状は素敵ではあるが)よりも内部空間の充実を図ったのではないかと想像しております(勿論、会館としての機能は十分満たしつつ)。内部空間で特に注目すべき箇所は、やはりモザイクガラスが施されたホワイエです。かわいくもあり、洗練された雰囲気もあり、光と色の強弱、ハーモニーがとても面白い場所となっています。岡山芸術創造劇場(仮称)の竣工は2021年、RSK新社屋の竣工は2020年を予定しています。その後の市民会館、RSK会館の利用方法がどうなるのか、気になるところです。 岡山芸術交流は、岡山県+香川県の瀬戸内国際芸術祭(2010年から3年ごとに開催、第五回は2023年予定)に比べると、現段階では知名度も集客数も及びませんが、継続することと残し続けることで大きな波が生まれ、様々な分野へ派生していく可能性を秘めたプロジェクトです。その中でA&Aの試みは、現在活躍中の日本の建築家(比較的若い)の住宅作品を岡山で見ることができるので、今運営されている2棟と計画中の3棟を確実に竣工し、計5棟は長く継続してほしいと願っております。もしも、岡山県民、市民の中で宿泊はできないが見学はしたいと思っている人が多数いた場合、スポット的に内部見学会などを開いていもらうことはできないのだろうか?岡山市南区にあるS-HOUSE Museum(設計:SANAA、1996年)と合わせた住宅作品ツアーがあれば是非行ってみたいし、誘ってみたいと思っていますが・・・。ただ、A&A リアムフジとA&A ジョナサンハセガワの宿泊予約が常に埋まっていて、その様なイベントを開催する間もなければ、実現する可能性は??。 ​ いずれにせよ、ハード面での劇的な変化とソフト面での緩やかな変化によって街全体が変化していくことは、珍しいことではないので、特に感慨にひたるということは無いのですが、岡山芸術交流のような、面白いが簡単に理解できないプロジェクトはよほどの情熱がない限り、継続が難しい事象です。主催する方々の情熱が10年、20年、30年と続き、根付いていくことを切に願っております。 ​ 参考資料:「岡山芸術交流2019パンフレット」、「岡山市民会館のみどころ (公財)岡山市スポーツ・文化振興財団作成」、「建築家 浦辺鎮太郎の仕事」、「岡山県アーキツーリズムガイドブック おかやま建築散歩」、「各種パンフレット+Web.」他 訪問日:2020年1月16日他 To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.

  • 藤森照信展 自然を生かした建築と路上観察|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)

    #011 藤森照信展 自然を生かした建築と路上観察 |previous| |next| ​ 岡山市内から車で約2時間かけて広島市現代美術館へ。訪問三度目の今回は「藤森照信展 自然を生かした建築と路上観察」の見学が目的です。色々な楽しい建築作品を設計されているので、氏がどういった考えで作品を作り上げているのか?どういった手法で使用する素材に挑んでいるのか?などなど・・・。この展覧会を通じて、氏の独創的な考えに触れ、楽しみ、少しでも理解できればうれしいです。 駐車場から広島市現代美術館へ(01~06)。続いて館内へ。「藤森照信展 自然を生かした建築と路上観察」はフラッシュ撮影をしなければ撮影OKですので、展示作品や図面も撮影させていただきました​。 多治見市モザイクタイルミュージアム(07~09)、素材見本(10、11)、神長官守矢資料館(12)、浜松市秋野不矩美術館(13)熊本県立農業大学校学生寮(14)、ラムネ温泉館(15)、神勝寺 松堂(16~19)、ミュンヘン リーム計画(20)、タンポポハウス(21)、ニラハウス(22)、ストークハウス(鸛庵、23)、せん茶(24、25)、高過庵(26)、矩庵、一夜亭、玄庵、茶室 徹など(27)、東京計画2101(28)、ラ コリーナ近江八幡(29、30)。 01 広島市現代美術館。ゆったりとした階段から美術館を見る。建物の曲線と階段の曲線が同調しており美しい。 02 光と影のコントラスト。メタルの反射も良い感じ。 03 三角形の切妻屋根と上下の色分けが蔵をイメージしたかのよう。 04 駐車場の関係で大回りして美術館へ。道中は石積みと緑を感じる事ができる。 05 岡山にある黒川記章氏の作品も紹介。広島市現代美術館が完成してから3年後の1992年に竣工。 06 広島市現代美術館と非常によく似た形に見えるが、こちらは広場を囲む回廊となっている。 07 建築模型を荒々しく仕上げた様が素晴らしい。 08 設計やデザインを行う者に勇気を与えるスケッチ画。 09 修正液で何度か書き直しているのが分かる。アナログな感じも好感が持てる。 10 今までの建築作品に使用した材料が並ぶ。中央の「炭付」の塩梅が良い。 11 芝屋根にも挑戦している。何十年後かの成果が知りたい。 12 藤森氏が初めて設計に携わった故郷の資料館。竣工は1991年。 13 世界初の裸足で作品を見る美術館。1997年の作。 14 杉・桧・赤松・栗の四種の木材を適所で使用しているとのこと。不均質の良さ。2000年竣工。 15 白と黒のコントラスト。焼き杉と漆喰の妙。2005年竣工。 16 岡山から一番近くにある藤森作品。2014年竣工。 17 福山市に行く機会を得て、神勝寺を見学。初めて藤森作品に触れる。 18 削られた松丸太が並ぶ廊下。柱も壁も手触り感がある。 19 松堂全景。奥に見えるのが禅と庭のミュージアム「洸庭」(設計:名和晃平/SANDWICH、2016年)。ツネイシ恐るべし! 20 今回の木製模型の中で最も気になった展示物。実現しなかったが、面白い。 21 本人自ら設計・施工した自邸。竣工が1995年なので今現在タンポポがどうなっているのか気になるところ。 22 赤瀬川原平氏の自邸。主不在のこの家の現在も気になるところ。竣工は1997年。 23 海外(オーストリア)の作品も。2012年竣工。 24 移動可能な茶室。キラキラ。 25 せん茶の中へ入ることができる。落ち着く・・・ことはない。 ギャラリーから出ました 折角広島に来たので、広島市環境局中工場(31~39)へ。藤森建築とは真逆に近いビシッ、パシッとした谷口建築。二回目の訪問です。 31 竣工は2004年(設計:谷口吉生)。ゴミ焼却工場とは思えない佇まい。 32 入口から直線で海まで抜けている。 33 近未来的な雰囲気に圧倒される。 34 光のある方(海側)へ導かれていくような感覚。 35 海側へ進んでいく中でゴミ処理のプロセスが見学できる。 36 更に進むとウッドデッキ+フレーム、海+空の空間が現れる。 37 海に面した公園側から工場を見る。 38 全景を眺める。やはりゴミ焼却工場とは思えない。 39 少し歩いたところに現れるエコアシス。直線の美しさ、潔さがある。同年竣工の香川県立東山魁夷せとうち美術館のアプローチで感じた感覚に似ている。 ギャラリーから出ました ある著名な文化人の講演で「建築家の話、著作物は難解で、一般の方々にとってはあまり面白くない」という話を聞いたことがあります。藤森照信氏は講演を聞いても、著作物を読んでも、明快で面白く分かりやすいという印象です。勿論、近代建築史、都市史研究の第一人者として多くの業績を残されてきたので、難しくすることもできるのでしょうが、建築に携わっていない者にも理解できる様に、噛み砕いて表現されているのではないかと思っております。この企画展も分かりやすく、楽しそうで、建築って面白いんだよと言っているようでした。 ​今回の展示で印象に残った物の一つとして、木製の建築模型が挙げられます。よく見る一般的な建築模型は二次製品(紙、段ボール、アクリル樹脂等)を用いているようですが、今回は木製の建築模型です。木製と言っても木の板を張り合わせて組み上げたのではなく、一本の丸太を削り出したかのような仕上がりの豪快な模型です(木彫りの熊やチェーンソーアートの様な)。この建築家の設計信条を表した、他で見ることがあまり無い振り切った建築模型です(個人的にはミュンヘン リーム計画が魅力的でした)。 全作品を通じて、完成した建築物の仕上材がその後どういった変化をしていくのか?がとても気になりました。特に植物を扱った屋根と壁部分は維持管理の難しさがあるのではないかと感じました。個人邸 < 公共建築 < 商業建築の順で、維持管理費の捻出がしやすいように思われるので(あくまでも私見です)、ラ コリーナ近江八幡の植栽を施した屋根は、長く緑が保たれるのではないかと勝手に想像しています。多治見市モザイクタイルミュージアムでは、屋根の上にアカマツを植栽しています。その植え桝の大きさが300mmの立方体だと分かり、結構小さいけどどうなのか?最終、根はどこへ延びていくのか?植木鉢の様に植え替えることを前提としているのか?などが気になりました。ただ、藤森氏の建築物は、枯れてもよし、朽ちてもよし、それ全て味わい、違和感なし!と解釈できるので、変化も面白みとして捉えられるのではないでしょうか。 藤森照信展の後に広島市環境局中工場も訪れました。設計は丸亀市猪熊弦一郎現代美術館や香川県立東山魁夷せとうち美術館などを手掛けた谷口吉生氏です。2005年に一度訪れていますが、その時も今回もビシーっとしていてしびれる佇まいでした(残念ながら見学者は少なめ・・・)。平和記念公園周辺も素晴らしいのですが、ここも海が近くてなかなか気持ちの良い空間です。多くの人々に是非訪れてもらいたい場所の一つです。谷口建築と藤森建築、今回は緊張と緩和の両方を体験する研修となりました。 ​ 参考資料:「藤森照信、素材の旅」、「ラ コリーナ近江八幡」、「藤森照信の美術館三昧」、「谷口吉生のミュージアム-ニューヨーク近代美術館[MoMA]巡回建築展」他 訪問日:広島市現代美術館と広島市環境局中工場 2017年10月3日、神勝寺 松堂 2017年12月10日 To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.

  • 重森三玲を巡る(その1)|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)

    #009-01 重森三玲を巡る(その1) |previous| |next| ​ 重森三玲氏(1896-1975)は岡山県上房郡吉川村(現:加賀郡吉備中央町)出身の作庭家です。また、日本庭園を実測調査したことから日本庭園の研究家、茶道にも通じていたことから茶道史家、茶室を設計したことから建築家、いけばなの世界では花道史研究家・・・等々。様々な分野で活躍しました。私が岡山在住ということもあり比較的身近に重森三玲氏を感じることが多いのですが、偉大な先人であるがためになかなか筆が進みません。今回からゆっくりとしたペースで氏の作品を紹介していきたいと思っております。 ​ 重森三玲氏は全国に多くの庭を残していますが、氏が生まれた岡山県と終の棲家となる京都府を中心に、今まで訪問した場所を作庭順に掲載して、作庭の変遷を辿っていければと思っております。今回は、重森三玲記念館の「天籟庵(てんらいあん)」、東福寺の「八相庭」、「阿波国分寺庭園」の三例を掲載いたします。 重森三玲記念館にある天籟庵(01~07)。 01 天籟庵全景。茶室は1915年建立(三玲氏の処女作)。露地は1969年に茶室の移築と共に作庭。 02 画像では若干色あせているが、当時は赤白の対比が鮮明だったようだ。奥の竹垣も氏のオリジナル。 03 海波を抽象表現した地模様。隣接する八幡宮(海神)に因んで。 04 腰掛待合の床もモルタルを着色している。 05 腰掛待合の飛び石。手前より奥の方が低くなっていることから、奥が正客用であることが分かる。 06 躙口周辺の景色。奥に鎌倉期の灯篭の基礎を利用した蹲踞が見える。 07 天籟庵を外から眺める。手前の石組は重森千靑氏作。奥に吉川八幡宮が見える。 ギャラリーから出ました ​ 重森三玲記念館の「天籟庵」は岡山県にあるので、いままでに何度か訪れています。京都府にある東福寺の「八相庭」はなかなか行くことが出来ないので、2006年1月訪問時の画像を掲載いたします(現在の景は変化しているかもしれません。悪しからず)。八相庭にある南庭(08~14)→井田庭(15)→市松庭(16~19)→北斗七星庭(20~22)をご紹介。 08 南庭。南東に入口があり、入ってすぐは全景は見えず石の裏が見える。 09 南庭の東側から西側を見る。横からの巨石の眺め。 10 南庭のメインの巨大石組。敷地が大きいのでそれに負けない様、大きな石を選択したとのこと。 11 南庭全景。植物は奥の苔と松のみといったシンプルな構成。 12 方丈から南庭を見る。石の躍動感はあるが、しっとりと落ち着いた空間。 13 南庭の西側。こんもりとした苔の築山。 14 南庭の西側から東側を見る。美しく管理された庭。 15 方丈南西の井田(いでん)庭。花の時期は良いかも。 16 方丈北の市松庭。リノベーションの極み。 17 方丈北の市松庭。超モダンな空間。どの時代の人々も魅了するであろう空間。 18 方丈北の市松庭。奥行を意識して敷石を配置しているのが分かる。 19 方丈北の市松庭。接写。苔と敷石のコントラストが美しい。 20 方丈東の北斗七星庭。その名の通り北斗七星が描かれている。 21 方丈東の北斗七星庭。別角度から。高低差を付けて石組に変化を与えている。 22 方丈東の北斗七星庭。接写。砂紋も美しい。 ギャラリーから出ました 上述の二例とは異なり重森三玲氏の作庭ではないのですが、徳島県にある阿波国分寺庭園(23~34)を紹介します。この庭園を訪れる前と後で作風が大きく変化したと言われている、氏に大きな衝撃を与えた庭園です。 23 阿波国分寺庭園全景。塀に囲まれているので、中に入っていきなりこの景色が現れる。 24 東側から西側を見る。石組の荒々しさに息をのむ。 25 阿波産の「青石」を鋭角に立てる。作為の中にある無作為を感じる。 26 石の荒々しさがある為、芝の刈込があまい方が逆に良いかも(管理が行き届きすぎていないのが良い)。 27 枯池、石橋と瑠璃殿。逆光で分かり難いが建物とも非常にマッチしている。 28 北側から南側を見る。少し落ち着いた空間。 29 北西側から庭園南東側の築山を見る。 30 瑠璃殿側から天生橋を見る。砂利の大きさを変えて敷き均しているのが分かる(作庭時からそうしていたかは不明)。 31 瑠璃殿と鋭角に立てられた「青石」との対比。 32 石の迫力に圧倒。時間、場所を一瞬忘れてしまいそう。 33 庭から少し離れた、瑠璃殿の西側にも巨石の石組がある。 34 裏に回ると、石は案外薄い。鋭さともろさが緊張感を生んでいるのかもしれない。 ギャラリーから出ました ​ 「天籟庵」の茶室は重森三玲が18歳の時に設計(完成は1915年)、建築作品としては処女作にあたります。重森三玲記念館の開館状況によるのかもしれませんが、この「天籟庵」に入れたことが無く、茶室、露地に入れるのかどうかが分かりません。資料等で確認したところ、茶室内は四畳半の空間に真・行・草の様式をとる三つの床の間があるそうです。18歳の青年に奇想天外な茶室の設計を許可し、自ら施工を担当した父の元治郎氏の寛容な心に驚き、感心もしました。時は流れ三玲氏が73歳の1969年、茶室の移築に伴い露地が新たに作庭されました。茶室と同様、他に類を見ない奇想天外な露地で、一木一草もなく、色付けしたモルタルで海波と土坡の地模様を表現しました。新旧の融合に、50年以上経てもなお新しいことに挑戦し続ける熱い情熱が感じられます。次回は係りの人がいる時に伺って、できれば中に入ってみたいです。 二例目の「八相庭」は全国の庭園の実測調査(第一次)後、本格的に作庭を行った最初の代表作(1939年、43歳)で、最も評価の高い庭の一つとなっています。「八相庭」に関しては数々の書籍が発刊されているので、詳細は割愛させていただくとして、2006年当時、南庭、井田庭、北斗七星庭よりも市松庭に最も感銘を受けました。緑と白、植物(苔)と被植物(方形敷石)といった単純な構成、対比に古来より用いられてきた市松模様が相まって、これほどまでにモダンに恰好よく見えるのか!簡素でありながら豊かな空間を生み出す事の重要性を学びました。 「八相庭」作庭後の1940年、氏は阿波国分寺庭園を訪れています。訪問後の作品を見てみると立石の使い方がより鋭くなり、青石(結晶片岩)も多用するようになりました。青石を今まで以上に鋭く立たせることにより極端な立体造形を持った庭へと変貌していったのです。このことからも徳島県への訪問が氏にどれほど影響を与えたかが分かります。確かに阿波国分寺庭園は衝撃の大きい庭でした。午前中に訪れた美術館が少々期待外れだったためか、訪問した時期(秋空)、訪問した時間(十四時過ぎ)が良かったためかは分かりませんが、「本物を見た」という感動がありました。この庭には洒落た軽やかさはありませんが、常識に囚われない自由さと豪胆さがあります。心をニュートラルにして再度奮い立たせてくれる非常に力のある庭でした。 次回はいつになるか分かりませんが、阿波国分寺庭園訪問後(1940年以降)の重森三玲氏の作品です。戦争という大変な時期を乗り越えて、新しい時代に入って行くなかで氏がどのような思い、表現方法を駆使して作庭したのか?近畿、中四国の庭を中心に紹介する予定です。 参考資料:「<シリーズ 京の庭の巨匠たち5> 重森三玲Ⅱ」、「Mirei Shigemori MODERNIZING THE JAPANESE GARDEN」、「重森三玲 モダン枯山水」、「庭 NIWA No.225」、パンフレット(名勝 阿波国分寺庭園)他 訪問日:重森三玲記念館 2017年5月31日、東福寺 2006年1月25日、阿波国分寺 2016年10月12日 To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.

  • 再訪、万博記念公園(その2)|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)

    #013-02 再訪、万博記念公園(その2) |previous| |next| ​ 太陽の塔を見学した後、記念公園内のEXPO’70パビリオン(万博開催当時は鉄鋼館、01~05)へ。万博の雰囲気を再現する展示が多数あり、当時の有識者達が思い描いていた「未来」を存分に堪能(06~17)。 01 日本万国博覧会開催当時は「鉄鋼館」というパビリオンであった。万博開催40周年を記念し、2010年3月にEXPO’70パビリオンとしてオープン。 02 設計は前川國男氏。むき出しのH形鋼が鉄鋼館であったことを表している。 03 EXPO’70パビリオンの入り口付近にあるエキスポタワーの一部。設計は菊竹清訓氏。 04 柱、梁、ガラスを固定する枠もH形鋼。床にはレンガ色のタイル(おそらく)が施されている。 05 別角度からEXPO’70パビリオンを見る。 06 種々のフォントが使用されていた模様。下段中央に人類の進歩と調和という日本万国博覧会のテーマも。 07 公式ポスター。桜をかたどった5つの花びらは、世界の5大州を意味し、中央の円は日の丸を表している。大高猛氏が担当。 08 館内2Fの入り口付近(有料ゾーン)。赤い! 09 音楽ホール「スペース・シアター」。中に入る事はできないが武満徹氏らの音楽が流れ、幻想的な雰囲気。奥に岡本太郎氏(生命の樹、1/3スケールの模型)の作品も。 10 当時の上演(光と音の融合による、新しい音楽体験)を再現したインスタレーションを体験する事ができる。 11 よく見ると天井や至る所に痛みが。約50年・・・。年月を重ねた証がここにある。 12 当時の入館料。今見ると違和感はないが、1970年代の物価を考えると高いと思った人もいるのでは。 13 関連グッズの展示ブース。右下に反射してわからないが、タバコが展示されている。時代を感じる一品。 14 「万博オープニングの鍵」(岡本太郎作)が展示されている。 15 東京オリンピック(1964年)開催時に好評だったピクトグラムは日本万国博覧会でも採用された。 16 奥に「手の椅子」(岡本太郎作)が見える。 17 エキスポタワーの模型も展示されている。 ギャラリーから出ました ​ EXPO’70パビリオン(万博開催当時は鉄鋼館)を設計した前川國男氏の建築物は岡山にもあります。以前に撮影した各地の前川國男作品をこの機会にご紹介。まずは、岡山市にある前川建築を。岡山県庁舎(1957年、18)、岡山県総合文化センター(1961年、現天神山文化プラザ、19)、林原美術館(1963年、20、21)。続いて、熊本県立美術館(1977年、22、23)。最後に東京都美術館(1975年、24)、前川國男自邸(1942年、江戸東京たてもの園へ移築、25~27)をご紹介。 18 岡山県庁舎。残念ながらなかなか行く機会が得られない。当時の選定理由は「新しい時代の造形感覚に徹し、清新にして滋味溢れる独創に満ちている」とのこと。主にSRC造、RC造。 19 岡山県総合文化センター。建物屋上からレリーフ「鳥柱(ちょうちゅう)」を見る(彫刻家、山縣壽夫氏の作品)。建物の打放しコンクリートとマッチしている。 20 林原美術館。正面から美術館を見る。右奥の外壁レンガが印象的。前川國男氏がレンガを多く使用しはじめる頃の作品。 21 美術館内の中庭。シンプルな構成ながら落ち着いた空間が広がっている。緑と赤のコントラストが美しく、焼きすぎレンガの良さが出ている。 22 熊本県立美術館。訪問時は改修中で中に入れなかった(いつか必ず再訪したい)。レンガを用いはじめた林原美術館の竣工(1963年)から14年。熊本県立美術館は、前川氏にとってレンガを用いた建築物(正確には打ち込みタイル)の集大成と言える。 23 1977年竣工当時、前川氏は72歳!モダニズムの象徴と言える打放しコンクリートから最後はレンガ(打ち込みタイル)へと至る。 24 東京都美術館。こちらも打ち込みタイルを使用。打ち込みタイルの特徴である、ポツポツとした穴が見える。 25 前川國男自邸。戦時体制下、建築資材の入手が困難な時期に竣工。外観は切妻屋根の和風。 26 1973年まで自邸として使われていたが、解体され部材のまま保管されていた。その後、この部材が東京都に寄贈され、江戸東京たてもの園内に復元された。 27 内部は吹き抜けの居間を中心に書斎・寝室を配した シンプルな間取り。建築資材の入手が困難な時期だが、相当豊かで開放的な空間が広がっている。 ギャラリーから出ました 今回の主目的は、太陽の塔の見学ですが、万博記念公園内には面白くて興味がそそられるモノが数多くあります。1970年開催から50年近くを経て、老朽化や様々な事情により解体撤去されたもの、補修保存されたものがあります。​前川國男氏が設計した鉄鋼館は2010年に EXPO’70パビリオンとして生まれ変わり、館内は現在も当時の熱気を感じる事ができます。鉄鋼館内の「スペース・シアター」は現存しており、音楽と光の競演をガラス越しながら見学できます。まさに”空間そのものが楽器”と評されたとおりの体験でした(今見て古いかどうか?結果的に今見ても新しいか?は皆様で判断を)。 1970年当時、万博会場の総合設計を行った丹下健三氏が57歳、テーマ館の総合プロデューサーを担った岡本太郎氏が59歳。会場設営等に関わった著名な建築家たちはそれぞれ、菊竹清訓氏が42歳、磯崎新氏が39歳、黒川紀章氏が36歳、等々みな若い!。スーパーゼネコン(鹿島・清水・大成・大林・竹中)などが施工を担当しているので、このイベントに日本中の建築関係者(特に若い力)が携わったことになります。そんな中、吉田五十八氏(76歳)や前川國男氏(65歳)といった重鎮もパビリオンの設計を担当していました。50代が全体を仕切り、20~40代が現場で走り回り、60代や70代も現場に出つつ見守る。短期間で物凄いエネルギーがそこに集まっていたかと思うと・・・。熱く強いパワーを感じます。 ​ 彼らが思い描いた未来から約50年。果たして人類は理想的に進歩し、調和のある世界を築けているのでしょうか?日本にとって1970年は一つの分岐点になったと言えますが、次の2025年はどうでしょうか?「いのち輝く未来社会のデザイン」というテーマをしっかりと理解し、経済に関する事柄のみがクローズアップされない事を祈りつつ。 ​ 参考資料:「大阪万博-20世紀が夢見た21世紀」、「岡本太郎にであう旅 岡本太郎のパブリックアート」、「建築家坂倉準三 モダニズムを住む|住宅、家具、デザイン」、「CASA BRUTUS EXTRA ISSUE 新説・あなたの知らない岡本太郎」、「CASA BRUTUS EXTRA ISSUE 日本の美術館ベスト100ガイド」、「CASA BRUTUS No.133」、「藤森照信の特選美術館三昧」、「各種パンフレット+Web.」他 訪問日:2019年1月22日 To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.

  • 体力の続く限りペダルを回す(直島その1)|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)

    #005-01 体力の続く限りペダルを回す(直島その1) |previous| |next| 今回の訪問地は現代アートの聖地と化した直島です。何度か訪れて何度も新しい発見がある魅力的な島を1日かけて巡ります。宮浦港で自転車をレンタルして島を反時計回りに周遊。ベネッセハウス周辺(地中美術館~李禹煥美術館~ベネッセハウス ミュージアム)→本村周辺(家プロジェクト~ANDO MUSEUM)→宮ノ浦周辺というルートです。島の自然を感じながら、アップダウンのある道に負けそうになりながら、体力の続く限りペダルを回し続けました。 宮浦港周辺(01~06)。 01 玉野市宇野港から直島へ瀬戸内海の美しい島々が眼前にひろがる。 02 フェリーは島の西側にある宮浦港へ。 03 「赤かぼちゃ」(2006年、草間彌生)とSANAAのスツールなどが見える。 04 海の駅なおしま(2006年、SANAA)。フェリーターミナルとしての機能を有している。屋根の薄さ、柱の細さ、水平感、浮遊感が印象的 05 「赤かぼちゃ」。中に入ることもできる。直島に近づいて初めて見えてくるアート作品なので、この後の作品群への期待値が高まる。 06 海の駅なおしまには観光案内所、カフェ、乗船券売場、特産品販売店などが入っている。 ギャラリーから出ました 海の駅なおしまを手掛けたSANAAは妹島和世氏と西沢立衛氏による建築家ユニットです。この研修以外で過去に訪れたSANAA作品も魅力的ですので、最も印象深かった金沢21世紀美術館(2004年、07~12、13~)を紹介いたします。 07 金沢21世紀美術館。SANAAの代表作の一つ。兼六園と共に見るべきところ。 08 外景。上部の箱型の建物、白い!雪の季節はより幻想的になるのでは。 09 屋内外にはSANAAの座るものがそこかしこに点在している。 10 ここにも座るものが。一つ一つ座って楽しみたい。 11 「緑の橋」(2004年、パトリック・ブラン) 12 魅力的な誘導路(その1)。 13 魅力的な誘導路(その2)。 14 魅力的な誘導路(その3)。 15 室内にも座るものが多数点在(その1)。 16 室内にも座るものが多数点在(その2)。 17 室内にも座るものが多数点在(その3)。 18 室内にも座るものが多数点在(その4)。 ギャラリーから出ました 岡山県内のSANAA作品(19~21)とメンバーの一人、妹島和世氏の作品がある犬島(22~27、岡山の中心部から遠いが一応、岡山市東区)も紹介し、犬島で妹島作品とともに訪れてほしい、犬島精錬所美術館(28~30)も紹介いたします。画像はありませんが、もうひとりのメンバーの西沢立衛氏の近県作品は、直島にある本村ラウンジ&アーカイブ、香川県土庄町の豊島美術館(2010年)などがあります。 19 岡山大学津島キャンパス内にある交流広場(2014年)。 20 三次元の妙。 21 岡山大学津島キャンパス内にあるJunko Fukutake Terrace(2014年)。画像はないが、岡山大学鹿田キャンパス内にはJunko Fukutake Hall(2013年)がある。 22 犬島「家プロジェクト」 S邸(2010年)。その1。 23 犬島「家プロジェクト」 S邸(2010年)。その2。 24 犬島「家プロジェクト」 F邸(2010年)。その1。 25 犬島「家プロジェクト」 F邸(2010年)。その2。 26 中の谷東屋(2010年)。画像はないが、他にI邸(2010年)とA邸、C邸(2013年)がある。 27 中の谷東屋。 28 犬島には妹島作品の他に犬島精練所美術館(設計:三分一博志、2008年)がある。 29 銅精錬所の遺構を保存・再生した美術館。 30 レンガ積みの荒々しさに圧倒される。 ギャラリーから出ました 直島は一番最初に目にするものがいかに重要かを示した好例だと思います。フェリーや高速船に乗って島に接岸するときに見える「赤かぼちゃ」のインパクトは、とても大きく効果は絶大です(見るというよりか目に入ってくるといった印象でしょうか。)。「赤かぼちゃ」と同時に見える海の駅なおしまは大屋根の印象は強いものの、「赤かぼちゃ」のどっしり感と比べると軽やかな感じをうけます。建築的には非常に高度な技術を用いているようで、現在の技術革新がなくては実現できなかったという話も聞きました。草間彌生、SANAAといったその道のビッグネームを最初に持ってきて、幅広い層の来島者に衝撃を植え付ける。港一つを取っても気の抜けない演出になっています。 参考資料:「瀬戸内・直島アートの旅 ガイドブック」、「Esquire 5 アートの聖地巡礼。」他 訪問日:2015年05月13日 09:00~ To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.

  • 地域を元気にする力(その2)|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)

    #002-03 地域を元気にする力(その2) |previous| |next| 近くにあるのになかなか行くことができなかった場所は結構ありますが、今回の神勝寺(臨済宗建仁寺派 天心山 神勝禅寺)もその一つです。近県で藤森照信氏の作品は、今の所ここでしか見ることができません。名和晃平氏の作品も犬島のF邸で見ましたが、恒久展示かどうかわからないので、恒久的に見ることができるのはおそらくここだけ。色々とおもしろいことをされている二人の作品を同じ敷地内で見学することができるなんて・・・。神勝寺の力、恐るべし! まず最初に神勝寺総門(01)、振り返れば洸庭(02)が見える。総門をくぐり散策。総門~松堂(03~11)~多宝塔(12)~洸庭(13~25)へ。 最後に無明院(26、27)へ。 01 神勝寺総門。1967年に移築。 02 総門を振り返ると洸庭(設計:名和晃平|SANDWICH、2016年)が見える。 03 総門をくぐって、西へ。寺務所としての機能を有している松堂が見えてくる(設計:藤森照信、2014年)。 04 松堂全景。手曲げ銅板で葺いた屋根が良い感じ。 05 賞心庭から松堂を見る。奥に洸庭が見える。 06 屋根の頂部にはマツが植栽されている。 07 訪問時は冬期であったため、植物が少々寒々しい。 08 表面を削った松丸太の柱が並ぶ。 09 壁も荒目で、手仕事の風合いが出ている。 10 屋根の突端にもマツが。 11 正面からは見えないが裏に回ると管理用の梯子がある。 12 多宝塔。松堂から洸庭へ行く道中に見えてくる。 13 正面に洸庭が見える。両サイドのサクラは、年に二度開花するシキザクラ。 14 橋を渡った先に洸庭が。 15 建仁寺の屋根などに使用されている杮(こけら)葺きを外装に使用。流線型が美しい。 16 コーナー部分のおさまり。今回の杮葺きにはサワラ材を使用している。 17 床に敷かれている砕石は、近くの採石場の崖をダイナマイトで破壊し運び込んだ。 18 洸庭は小高い丘の上に建ったいるので、この位置から総門、松堂が見える。 19 ダイナミックな「石の海」。 20 上部が黒く見えているが、全体を同じサワラ材で施工している。 21 右側にソテツワラビが見える。残念ながらこの部分だけ唯一周囲と調和していない。 22 「舟」をモチーフにした洸庭全景。浮遊感も感じられる。 23 ベンチがあるので、座ってゆっくり庭を眺める事もできる。 24 近くで見上げると迫力を感じる。 25 宇宙船のハッチのような入口。高さも幅も無いので、屈みながら入場する。中は・・・。体感したものにしかわからない空間が広がっている。 ギャラリーから出ました 神勝寺の創建は1965年12月となっており、寺院としては新しい部類に入ります。開基は常石造船(株)二代目社長の神原秀夫氏、臨済宗建仁寺派の特例地寺院です。点在する建立物は移築、再現、復元したものが多く、三溪園(横浜市)、四国村(高松市)、江戸東京たてもの園(小金井市)のような印象を受けました(あくまでも私見ですが)。ここに寺務所として松堂(設計:藤森照信)が竣工したのが2014年。アートパビリオン洸庭が竣工し、「神勝寺 禅と庭のミュージアム」としてリニューアルオープンしたのが2016年9月です。#002-02 地域を元気にする力(その1) で掲載した三つの建築物(リボンチャペル、せとの森住宅、Seto)の竣工年が2013年。まだ見学できていませんがONOMICHI U2(設計:谷尻誠)が2014年。短期間で多くの建築作品が、様々な考え方や手法で完成しています。これら全てのクライアントがツネイシホールディングス(株)(及びその関連会社)という事実。恐るべし! ​ 松堂は、銅板や松丸太の柱が経年変化で良い感じになっており、周囲と調和しているように感じました。各所で工業製品を使用しているのですが、表面の仕上げが手作業に近い為暖かみのある作品に仕上がっています。屋根の頂部にアカマツが植栽されいる様子は、「藤森照信展 自然を生かした建築と路上観察」を見学した後だったこともあり、違和感を受けませんでした。ただ、#011 藤森照信展 自然を生かした建築と路上観察 で述べたように今後のマツの生長によって、屋根周辺がどういった変化を見せるのかが非常に気になります。漏水やマツが枯れないことを祈ります。 洸庭は、禅を意識したつくりで、「素材のもつポテンシャルを引き出すため、内外に使用する材の種類や建築的な機能は減らすように努めた。例えば彫刻の場合、ワンマテリアル・ワンテクスチャーの造形は空間に凛とした響きを与える。《洸庭》の杮葺きにも同じような効果を期待した」という名和氏の言葉が印象的でした(KOHTEI KOHEI NAWA | SANDWICHより )。 面白いと感じたことの一つとして、室外では本物の水を用いず、室内では本物の水を用いたことです。外から洸庭を見てみると、砕石の荒々しい海に浮かぶ舟、もしくは浮いている飛行体の様に見えます。海の広さは砕石が敷き詰められた範囲で区切られ、視覚的には有限となります。一方、室内の洸庭は、暗闇とわずかな光、水の揺らぎを感じる空間で、水が存在していることは理解できますが、暗闇である為境界が判然とせず、広さや大きさは個人の想像で決定することになります。開かれた空間が有限で、閉じられた空間が無限。自然を感じる空間に想像の水、人為的に作られた空間に本物の水・・・といった反転した感覚が生じ、とても興味深い体験となりました。いずれにしても言葉よりも感じることが重要です。一度体感しに訪れてみてはいかがでしょうか? 参考資料:「神勝寺 禅と庭のミュージアム」、「KOHTEI KOHEI NAWA | SANDWICH」、「CASA BRUTUS No.176」、「CASA BRUTUS No.200」他 訪問日:2017年12月10日 13:00~ To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.

  • 戦後日本住宅伝説・挑発する家・内省する家|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)

    #003 戦後日本住宅伝説・挑発する家・内省する家 |previous| |next| 第三回の訪問地は、広島市現代美術館です。特別展「戦後日本住宅伝説-挑発する家・内省する家」を見学し、考察することが今回の目的です。この特別展は1950年代から70年代までの高度成長期に手がけられた16の住宅作品を展示しており、出品作品ごとに、写真、図面、模型、映像、その他に分けて掲載されています。写真OKマークの付いたものは撮影できるので、出来る限りカメラにおさめました。 ​ 広島市現代美術館(01~05)からご紹介。続いて「戦後日本住宅伝説・挑発する家・内省する家」展へ。各々の建築家の作品を見学。丹下健三(06、07)~増沢洵(08)~清家清(09)~磯崎新(10)~菊竹清訓(11)~東孝光(12、13)~篠原一男(14)~坂本一成(15)~白井晟一(16)~宮脇檀(17)~毛綱毅曠(18)~黒川記章(19、20)~原広司(21、22)~石山修武(23)~伊東豊雄(24)~安藤忠雄(25、26)。 01 広島市現代美術館。設計:黒川記章、1989年。2005年以来、ほぼ十年ぶりに訪問。 02 円形が印象的。広島市現代美術館の後に吉備中央町のきびプラザ(1992年)ができる。 03 こちらも円形。メタリックと青空の対比。 04 岡山からギリギリ日帰りできる距離なので、面白い企画展がある時は訪れたい場所。 05 階段を少々のぼって美術館へ。石の直方体は、噴水の様な水場。 06 ❶住居(設計:丹下健三、1953年)は撮影できない為、中四国地方の丹下作品を。倉敷市立美術館(1960年)。 07 香川県庁舎(1958年)。 08 ❷コアのあるH氏の住まい(設計:増沢洵、1953年)。 09 ❸私の家(設計:清家清、1954年)。 10 ❹新宿ホワイトハウス(設計:磯崎新、1957年)。岡山県には、奈義町現代美術館(1994年)、岡山西警察署(1996年)がある。 11 ❺スカイハウス(設計:菊竹清訓、1958年)。島根県には氏が設計した建築物が多数存在。鳥取県にはコラム#001-2で登場した東光園も。 12 ❻塔の家(設計:東孝光、1966年)。 13 46年後の塔の家(2012年撮影)。 14 ❼白の家(設計:篠原一男、1966年)。 15 ❽水無瀬の町家(設計:坂本一成、1970年)。 16 ❾虚白庵(設計:白井晟一、1970年)。静岡県にある登呂遺跡に何度か行った記憶はあるが、近接の芹沢銈介美術館(1981年)に行った記憶がない。いつか行ってみたい場所の一つだ。 17 ❿松川ボックス(設計:宮脇檀、1971/1978年)。 18 ⓫反住器(設計:毛綱毅曠、1972年)。 19 ⓬中銀カプセルタワービル(設計:黒川記章、1972年)。岡山県人になじみの深い中国銀行、通称「ちゅうぎん」とは全く関係なく、「なかぎんカプセルタワービル」と読む。 20 国立新美術館(2006年)。 21 ⓭原邸(設計:原広司、1974年)の撮影を忘れた為、有名な所を。京都駅ビル(1997年)。原邸がスケールアップして京都駅ビルになったとのこと。 22 札幌ドーム(2001年)。 23 ⓮幻庵(設計:石山修武、1975年)。伊豆の長八美術館(1984年)もいつか行ってみたい場所の一つだ。 24 ⓯中野本町の家(設計:伊東豊雄、1976年)。 25 ⓰住吉の長屋(設計:安藤忠雄、1976年)。 ギャラリーから出ました ❶住居(設計:丹下健三、1953年)から⓰住吉の長屋(設計:安藤忠雄、1976年)まで、ほぼ時系列順に作品が並べられているので、住宅史を考えるうえでも興味深い内容でした。 16作品のうち白井晟一氏を除いた15作品が二十代後半から四十代前半の作品で、16作品のうちほぼ半数が自邸もしくは近親者の住宅作品となっており、若くエネルギッシュな設計者が実験住宅的な意味合いで、近親者らの協力を得て作り上げたと言えるかもしれません。 50年代の作品の中で、❷コアのあるH氏の住まい(設計:増沢洵、1953年)と❸私の家(設計:清家清、1954年)は庭などの外部空間との向き合い方が秀逸で、室内の大きさ以上に開放感が得られるであろうと想像します。60年代以降は、一般的な常識よりも自身の信念を強く体現させた作品が多いように感じました。 これらの展示作品が竣工してから約40~60年後の現在、当時では考えられないほど便利な世の中になりました。見学しながら思ったことは「常識とは何?」と「便利=必ずしも豊かではない」ということです。効率や快適性のみを追い求めた事象がはたして人間を豊かにするのだろうか?といった疑問は、色々な機器が進化するたびに思うことです。ただ一旦出来上がった便利さを手放すことはなかなかできません。余白や不便さから生まれる発想の転換が重要なことは分かっていても、そればかりでは生きてはいけない事も事実です。もしもどちらかに偏ってしまった場合に、それらのバランスを取るアイテムの一つとして植物があるはずなので、これからも植物を植えること、育てることを推薦していこうと強く思いました。 ※広島市現代美術館での会期は終了しましたが、松本市美術館で2015年4月18日-6月7日まで、八王子市夢美術館で6月中旬-7月中旬(予定)まで行われますので、興味のある方は是非足を運んでみてください。 参考資料:「戦後日本住宅伝説 挑発する家・内省する家」、「藤森照信の原・現代住宅再見」、「藤森照信の原・現代住宅再見2」、「藤森照信の原・現代住宅再見3」他 訪問日:2014年11月19日 10:30~ To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.

  • 東光園の衝撃|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)

    #001-02 東光園の衝撃 |previous| |next| 足立美術館から松江城へ、最後に東光園を訪れました。道中、見たことのある風景が流れてきてびっくり。初めてだと思っていた皆生温泉に数年前、海水浴で来ておりました。あの時のここと今回の目的地がこれほどまでに近いとは・・・。 東光園は、昭和初期に皆生温泉で創業を開始した由緒ある温泉旅館です。今から50年前の1964年に本館が竣工、菊竹清訓氏(1928-2011)の代表作の一つです。1964年竣工の建築物には、丹下健三氏(1913-2005)の国立代々木競技場や香川県立体育館などがあり、コンクリート構造をいかに美しく見せるかを模索し、実現していた時代ではないかと推察されます。50年の変化を感じながら自分自身がこの建物を見てどう思うか楽しみです。 ​ 東光園(01~15)と出雲大社庁の舎(16、17)。菊竹清訓氏が設計した初期の代表作。 01 全景。温泉街を少し過ぎた後、突如インパクトのある外観が現れる。 02 全景。 03 エントランス周辺。近付くとコンクリートの荒々しさも残り、存在感がある。 04 4階まで伸びている組み柱(主柱と貫で繋がれたサポート柱)。それより上は主柱のみが延びている。 05 エントランス周辺。組み柱の造形に圧倒される。 06 室内2階よりロビーを見る。紫色の絨毯、剣持勇デザインのラウンジチェア、組み柱、そして庭園の広がり。 07 室内でも組み柱の存在感に圧倒される。 08 ロビーから庭園に出る。 09 ガラス張りの階段室。形がおもしろい。 10 階段内部は・・・。少し残念な状態。 11 庭園は彫刻家、流政之(1923-、香川県在住)の作。センダンが大きく育っている。 12 庭側は植栽の影響で建物の存在感が和らいでいる。 13 4階の空中庭園。ここは砂利以外何もない空間。 14 1~3階が建物、4階が中空、5~7階が建物となっている。 15 客室前。部屋数はわからないが5、6階は全て和の設え。 16 設計:菊竹清則、1963年。東光園と同じくらいインパクト大。東光園から車で1時間30分ほど。 17 出雲大社の境内にあるので、参拝後に訪れるべき名所。 ギャラリーから出ました 東光園は様々な媒体で話題にあがっていたので、いつかは行きたい場所の一つでした。最近、香川県に行く機会があり、「ジョージナカシマ記念館」で香川在住の流政之氏を知りました。氏の作品を見てみたいという衝動も東光園に行くきっかけの一つでした。 インパクトは色々な意味で非常に大きいものでした。一つ目のインパクトはやはり建物そのもののインパクトです。「1階から3階まで建物があり、4階がまるまる抜けていて、5階から上がまたある。」、「5階、6階は7階にある太い梁からまるごと吊るようにした」。文章や写真だけだといまいちよくわからなかったのですが、その場に立ってみると、なるほどよく分かりました(やはり百聞は一見にしかず)。組み柱は意匠的でありながら、構造的にも成り立っている・・・東光園のシンボル。 二つ目のインパクトはその土地の人々のおおらかさです。宿泊者でもなく温泉を利用するわけでもない者を快く受け入れていただきました。お言葉に甘えて、色々な所で写真撮り、見学させていただきました。細かく見学させていただいたので、うわっと驚くような場面もありましたが、50年経った建物と庭なのでこちらもおおらかに受け流しました。最初に訪れた足立美術館があまりにもきっちりとしていたので、そのギャップがインパクトを大きくしたのかもしれません。 最後は、「建築史的な価値と商業的な価値のバランスをどうとるのか?」を考えさせられてしまいました。たとえ世界的な彫刻家の流政之氏が庭園を手掛けようと、建築家の菊竹清訓氏が建物を設計しようと、昭和天皇が行幸の際に利用されようと、商業的に成り立たなければ継続できません。現在、東光園は紆余曲折を経て星野リゾートが運営していると思われます。今後、どう変化していくのか分かりませんが、次回来るときは宿泊するか日帰り温泉を利用させていただこうと心に決め、帰路に就きました。 ​参考資料:「昭和モダン建築巡礼 西日本編」、「菊竹清訓巡礼」、「各種パンフレット+Web.」他 訪問日:2014年7月16日 15:00~ To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.

bottom of page