Column(コラム)

#009-01 重森三玲を巡る(その1)

​ 重森三玲氏(1896-1975)は岡山県上房郡吉川村(現:加賀郡吉備中央町)出身の作庭家です。また、日本庭園を実測調査したことから日本庭園の研究家、茶道にも通じていたことから茶道史家、茶室を設計したことから建築家、いけばなの世界では花道史研究家・・・等々。様々な分野で活躍しました。私が岡山在住ということもあり比較的身近に重森三玲氏を感じることが多いのですが、偉大な先人であるがためになかなか筆が進みません。今回からゆっくりとしたペースで氏の作品を紹介していきたいと思っております。

 重森三玲氏は全国に多くの庭を残していますが、氏が生まれた岡山県と終の棲家となる京都府を中心に、今まで訪問した場所を作庭順に掲載して、作庭の変遷を辿っていければと思っております。今回は、重森三玲記念館の「天籟庵(てんらいあん)」、東福寺の「八相庭」、「阿波国分寺庭園」の三例を掲載いたします。

○重森三玲記念館 天籟庵

01:天籟庵全景。茶室は1915年建立(三玲氏の処女作)。露地は1969年に茶室の移築と共に作庭。

02:画像では若干色あせているが、当時は赤白の対比が鮮明だったようだ。奥の竹垣も氏のオリジナル。

03:波を抽象表現した地模様。隣接する八幡宮(海神)に因んで。

04:腰掛待合の床もモルタルを着色している。

05:腰掛待合の飛び石。手前より奥の方が低くなっていることから、奥が正客用であることが分かる。

06:躙口周辺の景色。奥に鎌倉期の灯篭の基礎を利用した蹲踞が見える。

07:天籟庵を外から眺める。手前の石組は重森千靑氏作。奥に吉川八幡宮が見える。

​重森三玲記念館の「天籟庵」は岡山県にあるので、いままでに何度か訪れています。後述の京都府にある東福寺の「八相庭」はなかなか行くことが出来ないので、2006年1月訪問時の画像を掲載いたします(現在の景は変化しているかもしれません。悪しからず)。

○東福寺 八相庭

●南庭

08:裏に回ると、石は案外薄い。鋭さともろさが緊張感を生んでいるのかもしれない。

09:南庭の東側から西側を見る。横からの巨石の眺め。

10:南庭のメインの巨大石組。敷地が大きいのでそれに負けない様、大きな石を選択したとのこと。

11:全景。植物は奥の苔と松のみといったシンプルな構成。

12:方丈から南庭を見る。石の躍動感はあるが、しっとりと落ち着いた空間。

13:南庭の西側。こんもりとした苔の築山。

14:南庭の西側から東側を見る。美しく管理された庭。

●井田庭

15:方丈南西の井田(いでん)庭。花の時期は良いかも。

●市松庭

16:方丈北の市松庭。リノベーションの極み。

17:超モダンな空間。どの時代の人々も魅了するであろう空間。

18:奥行を意識して敷石を配置しているのが分かる。

19:接写。苔と敷石のコントラストが美しい。

●北斗七星庭

20:方丈東の北斗七星庭。その名の通り北斗七星が描かれている。

21:別角度から。高低差を付けて石組に変化を与えている。

22:接写。砂紋も美しい。

 上述の二例とは異なり重森三玲氏の作庭ではないのですが、徳島県にある阿波国分寺庭園を紹介します。この庭園を訪れる前と後で作風が大きく変化したと言われている、氏に大きな衝撃を与えた庭園です。

○阿波国分寺庭園

23:全景。塀に囲まれているので、中に入っていきなりこの景色が現れる。

24:東側から西側を見る。石組の荒々しさに息をのむ。

25:阿波産の「青石」を鋭角に立てる。作為の中にある無作為を感じる。

26:石の荒々しさがある為、芝の刈込があまい方が逆に良いかも(管理が行き届きすぎていないのが良い)。

27:枯池、石橋と瑠璃殿。逆光で分かり難いが建物とも非常にマッチしている。

28:北側から南側を見る。少し落ち着いた空間。

29:北西側から庭園南東側の築山を見る。

30:瑠璃殿側から天生橋を見る。砂利の大きさを変えて敷き均しているのが分かる(作庭時からそうしていたかは不明)。

31:瑠璃殿と鋭角に立てられた「青石」との対比。

32:石の迫力に圧倒。時間、場所を一瞬忘れてしまいそう。

33:庭から少し離れた、瑠璃殿の西側にも巨石の石組がある。

34:裏に回ると、石は案外薄い。鋭さともろさが緊張感を生んでいるのかもしれない。

​ 「天籟庵」の茶室は重森三玲が18歳の時に設計(完成は1915年)、建築作品としては処女作にあたります。重森三玲記念館の開館状況によるのかもしれませんが、この「天籟庵」に入れたことが無く、茶室、露地に入れるのかどうかが分かりません。資料等で確認したところ、茶室内は四畳半の空間に真・行・草の様式をとる三つの床の間があるそうです。18歳の青年に奇想天外な茶室の設計を許可し、自ら施工を担当した父の元治郎氏の寛容な心に驚き、感心もしました。時は流れ三玲氏が73歳の1969年、茶室の移築に伴い露地が新たに作庭されました。茶室と同様、他に類を見ない奇想天外な露地で、一木一草もなく、色付けしたモルタルで海波と土坡の地模様を表現しました。新旧の融合に、50年以上経てもなお新しいことに挑戦し続ける熱い情熱が感じられます。次回は係りの人がいる時に伺って、できれば中に入ってみたいです。

 二例目の「八相庭」は全国の庭園の実測調査(第一次)後、本格的に作庭を行った最初の代表作(1939年、43歳)で、最も評価の高い庭の一つとなっています。「八相庭」に関しては数々の書籍が発刊されているので、詳細は割愛させていただくとして、2006年当時、南庭、井田庭、北斗七星庭よりも市松庭に最も感銘を受けました。緑と白、植物(苔)と被植物(方形敷石)といった単純な構成、対比に古来より用いられてきた市松模様が相まって、これほどまでにモダンに恰好よく移るのか!簡素でありながら豊かな空間を生み出す事の重要性を学びました。

 「八相庭」作庭後の1940年、氏は阿波国分寺庭園を訪れています。訪問後の作品を見てみると立石の使い方がより鋭くなり、青石(結晶片岩)も多用するようになりました。青石を今まで以上に鋭く立たせることにより極端な立体造形を持った庭へと変貌していったのです。このことからも徳島県への訪問が氏にどれほど影響を与えたかが分かります。確かに阿波国分寺庭園は衝撃の大きい庭でした。午前中に訪れた美術館が少々期待外れだったためか、訪問した時期(秋空)、訪問した時間(十四時過ぎ)が良かったためかは分かりませんが、「本物を見た」という感動がありました。この庭には洒落た軽やかさはありませんが、常識に囚われない自由さと豪胆さがあります。心をニュートラルにして再度奮い立たせてくれる非常に力のある庭でした。

 次回は阿波国分寺庭園訪問後(1940年以降)の重森三玲氏の作品です。戦争という大変な時期を乗り越えて、新しい時代に入って行くなかで氏がどのような表現方法を駆使して作庭したのか?近畿、中四国の庭を中心に紹介いたします。

 

参考資料:「<シリーズ 京の庭の巨匠たち5> 重森三玲Ⅱ」、「Mirei Shigemori MODERNIZING THE JAPANESE GARDEN」、「重森三玲 モダン枯山水」、「庭 NIWA No.225」、パンフレット(名勝 阿波国分寺庭園)他

訪問日:重森三玲記念館 2017年5月31日、東福寺 2006年1月25日、阿波国分寺 2016年10月12日

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