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- 再訪、足立美術館|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)
#001-01 再訪、足立美術館 |previous| |next| 足立美術館は、島根県安来市出身の実業家、足立全康氏が蒐集した美術品をもとに、1970年11月に開館した私設美術館です。広大な日本庭園と近代日本画コレクションで知られ、なかでも横山大観の作品は質・量ともに最も充実しています。私が最初に訪れた2003年の秋は見学者が多く、ゆっくり周ることができませんでした。2回目の今回は開館直後に到着し、見学者もパラパラでしたのでゆっくり見ることができました。 前回の訪問から約10年、前回と今回ではどのような感じ方の違いがあるのか楽しみです。(今回の研修の最大の目的地は「東光園」でしたが、ルートの関係上「足立美術館」を先に訪問しました。) 01 枯山水庭を見る。入り口から階段を降りて正面に現れる広大な風景。芝と砂利のエッジが丁寧に処理されている。マツ類、ツツジ類の刈込が印象的。庭と奥の山々(勝山など)が重なり敷地以上に庭を広く見せることに成功している。 02 苔庭を見る(東~西方向)。スギゴケを中心とした植栽。苔と砂利のエッジの処理が秀逸。 03 建物から枯山水庭を見る。窓が広いため庭を広角に眺めることができる。 04 美術館から寿立庵への動線。花崗岩の方形石と自然石を用いた延段。「真・行・草」で考えると「行」と位置づけられる。桂離宮にもこういった延段があるため、桂離宮への尊敬の念が込められているかもしれない。※寿立庵:桂離宮にある「松琴亭」の面影を写して建てられた茶室。 05 寿立庵への動線。花崗岩の切石を配した延段。「真・行・草」で考えると「真」と位置づけられる。桂離宮にもこういった延段があるため、桂離宮への尊敬の念が込められているかもしれない。※寿立庵:桂離宮にある「松琴亭」の面影を写して建てられた茶室。 06 土壁の奥に寿立庵がある。※寿立庵:桂離宮にある「松琴亭」の面影を写して建てられた茶室。 07 苔庭を見る(南~北方向)。各所にフィックスの窓がある。窓は額縁の役目を担う。 08 苔庭を見る(南西~北東方向)。中央に石橋が見える。苔庭は三方向から見えるが、どの場所から眺めても違和感なくおさまっている。 09 滝組の奥に茶室「環翆庵」が見える。 10 室内に座ってガラス越しに枯山水庭を見る。ゆっくり眺めるスペースがあるので、時間の許す限り空間を堪能したい。景石は岡山県新見市の小坂部川の川石を用いている。 11 奥に見える滝は、開館8周年を記念して1978年に開瀑した人工滝「亀鶴の滝」。 12 フィックス窓から見える枯山水庭。夏の生の額絵。建物の近くに巨石を配したり、高木を植栽したり・・・遠近法、誘導など様々なテクニックを使用している。 13 池庭。枯山水庭、苔庭と白砂青松庭よりも弱い印象。枯山水庭、苔庭、白砂青松庭と分類しているが、実際は一つながりの庭で、様々な場面、角度から見せることを意識して作庭している。この池庭は一方向からの景色のみが見えるため印象が弱くなってしまったのかもしれない。 14 夏の生の衝立。他に生の掛け軸、生の額絵などがある。 15 白砂青松庭。白砂とマツの対比が美しく、点在した樹高の低いマツが愛らしい。ここからの角度でみると、芝と砂利の境目に滑らかさが無い為、おさまりが若干気になる。 16 名もなき庭。陶芸館の1F河井寛次郎室から2Fの北大路魯山人室へ上る階段の踊り場から見える。ダイナミックな庭を見た後にこの様な慎ましやかな庭を見るとホッとする。 ギャラリーから出ました この美術館を訪れた人々は、庭に落ち葉やゴミが一つも無いことに気づくでしょう。スタッフの皆さんの日頃の維持管理に敬意を表します。落ち葉以外にも整然とした刈込の美しさ、芝と砂利や苔と砂利のエッジの処理の丁寧さに驚かされます。こういった日頃の努力が加味され、米国の日本庭園専門誌で11年連続庭園日本一に選ばれていることはとても素晴らしいことです。どの季節に訪れても素晴らしい景色を見ることができるでしょう。 自分自身の感覚と照らし合わせた感想は・・・「美術館の特性上室内から窓越しに庭を眺める場面が多かった。暑さ寒さを感じず快適に鑑賞できる点がある反面、外の風を感じたり、温度を感じたりといった、五感をすべて刺激する場面が少なかった。」、「かなり維持管理の精度が高いので、動きが取りにくい庭に映った。これは"庭園もまた一幅の絵画である"という言葉を残した創設者の意向によるものだと思うが、例え季節が移ろおうとも私には固まり続ける庭に映った。」、「地方都市、観光客がメインターゲット、飽きさせてはいけない、サービスを良くしなければならない・・・という観点から新館ができ展示物も増え続けている。見どころたくさん、盛りだくさんは良いがバランスを欠くと大変なことになってしまわないか心配。」・・・ とはいっても、「庭園日本一」という称号、「来館者の経済波及効果が極めて大きい」という事実がある以上私が感じたことは、ただ単なる少数派の意見です。また、何年か後に再訪してどう感じるか確かめたいです。 参考資料:「足立美術館の庭園 The Gardens of The Adachi Museum of Art」 訪問日:2014年7月16日 9:30~ To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.
- 県内の良い処、奈義町現代美術館へ|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)
#008-01 県内の良い処、奈義町現代美術館へ |previous| |next| 岡山に住んでいてもなかなか行くことが出来ない県内の良い処、奈義町現代美術館(設計:磯崎新、1994年)。約十年ぶり二度目の訪問です。前回が曇天、今回も曇天と天候には恵まれていませんが、竣工して約20年経っても色褪せていないであろう三作品をじっくり、ゆっくり堪能したいと思います。 駐車場から奈義町現代美術館(01~08)、奈義町観光案内所(09)へ。まずは外観を楽しみ美術館内へ。館内(10~12)→展示室「大地」(13、14)→展示室「月」(15、16)→展示室「太陽」(17、18)。 01 奈義町現代美術館。全景(その1)。晴れていれば那岐山が見えるはず。 02 全景(その2)。晴天に恵まれず残念。 03 全景(その3)。アプローチから建物を見る。 04 サイン(その1。田中一光デザイン室による)。 05 サイン(その2。田中一光デザイン室による)。 06 外から見た展示室「月」。ガラスの向こうにチラッと展示物が見える。 07 外から見た展示室「太陽」。大きな太鼓の様な外観。外観からは想像がつかない内部空間がある。 08 エントランス周辺。美術館と図書館共有の入り口。 09 奈義町観光案内所。奈義町現代美術館の隣にある。こちらも磯崎氏。 10 喫茶室の前には池があり、展示室「大地」と繋がっている。 11 別の角度から池と展示作品を見る。 12 様々な角度から作品を見ることが出来る。奥に見えるのは町立図書館。 13 宮脇愛子/《うつろひ》。宮脇氏の代表作であるワイヤーを用いたアート作品は、ここ以外でも見ることが出来るが、室内作品は珍しいのでは。 14 宮脇愛子/《うつろひ》。内と外があいまいな空間。光と影のコントラスト 15 岡崎和郎/《HISASHI-補遺するもの》。音の反響も面白い。 16 岡崎和郎/《HISASHI-補遺するもの》。話す音、歩く音、たたく音。それぞれ違った反響音。 17 荒川修作+マドリン・ギンズ/《偏在の場・奈義の龍安寺・建築する身体》。入り口が狭く暗い分、この空間を見た時の感動は非常に大きい。 18 荒川修作+マドリン・ギンズ/《偏在の場・奈義の龍安寺・建築する身体》。龍安寺との感じ方の違いも体感すべき。 ギャラリーから出ました 奈義町現代美術館は、三組の作家(宮脇愛子、岡崎和郎、荒川修作+マドリン・ギンズの各氏)と建築家の磯崎新氏との共同制作のなかで生み出された、作品と建築物が一体となった美術館です。作家の作品は三つの展示室「大地」、「月」、「太陽」に分かれており、それぞれの配置は、土地の自然条件に基づいた固有の軸線に従い計画されています。即ち、「大地」の延長線上には那岐山頂が、「月」は中秋の名月時の22:00の方向を、「太陽」は南北方向を指すというように・・・。この美術館での試みは、直島などで行われているサイトスペシフィックワークの先駆けとなる出来事で、今までの絵画等を展示する美術館から次の美術館へと変遷する分岐点となったように感じます。 作品は展示室「大地」にある宮脇愛子氏の《うつろひ》から始まります。ワイヤーを用いた曲線が幾重にも走り、水面、風、光、反射、外、内といったイメージが無機質な空間の中で膨らんでいきます。その後「月」、「太陽」のどちらに行くこともできますが、できれば先に「月」を、最後に「太陽」を見る方が個人的には腑に落ちるルートです。展示室「月」は岡崎和郎氏の《HISASHI-補遺するもの》が壁に配置されています。展示室内の花崗岩のベンチや好みの場所に座ってみると、景色と共に様々な反射音が聞こえてきます。人が歩く音、話す音、手をたたく音、笑う音・・・様々な音が三日月形の展示室にこだまし単純な空間構成でありながら、五感を刺激する体験ができます。最後の展示室「太陽」は最も強烈で非現実的な空間です。展示室入り口の螺旋階段を暗く狭くした効果により、展示室に入った瞬間の圧迫からの解放、暗闇からの光は非常なインパクトを生んでいます。徐々に目が慣れてくると展示作品《偏在の場・奈義の龍安寺・建築する身体》の不思議さにも目を奪われます。水平面が無く平衡感覚を失う恐れのある空間に身を置いてみると、浮遊しているような感じもありながら、足裏の一部に荷重がかかるという言葉では表現しにくい経験を得ることが出来ます。荒川修作氏+マドリン・ギンズ氏は翌1995年に岐阜県養老郡に養老天命反転地を完成させます。奈義町で成功したアイデアを養老町で発展させたのではないかと想像しています。 今回の訪問日は日曜日のお昼前。にもかかわらず訪問者は私を含めて数組。その分、だれにも邪魔されずにゆっくり作品を見学することが出来ました。時間に余裕をもって訪問して欲しい場所です。 参考資料:「パンフレット(Nagi MOCA)」、「岡山建築散策マップ」、「ポストモダン建築巡礼」他 訪問日:2016年04月03日 To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.
- 現存天守のこと|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)
#001-ot 現存天守のこと |previous| |next| 足立美術館から次の目的地に行く前に、松江城を訪れました。お城にさほど興味があるわけではないのですが、創建時からほぼ残っている天守(現存天守)が全国に12棟あって松江城はそのうちの一つと教えてもらいました。残りの11棟のうち過去に行ったことがある備中松山城と、研修後に行った丸亀城も紹介いたします。 松江城(01、02)、島根県立美術館(03)。→ 備中松山城(04、05)、頼久寺(06)。→ 丸亀城(07、08)、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(09)。 01 現存天守(松江城)。木部は全て黒塗りで黒を基調としたつくりになっている。 02 野面積(のづらづみ)の石垣。穴太衆が工事に関わっている。 03 天守五階からの眺望が素晴らしい。宍道湖が近いので、島根県立美術館(設計:菊竹清訓、1999年)が見える。まだ訪れていないのでいつか夕日が見える時刻に行きたい。 04 現存天守(備中松山城)。標高430mの臥牛山頂付近に建ち、山城としては最も高い所にある。 05 「追手門跡」周辺の石垣。岩盤の上に見事に積み上げられている。ふいご峠から山道を登って20分で到着。重機などがない時代に天守を建て、石垣を築いたという事実にただただ驚く。 06 高梁市といえば備中松山城の他に、ツツジ類の大刈込で有名なこの頼久寺(小堀遠州、1604年ごろ)。 07 現存天守(丸亀城)。高さ約15mで日本一小さい。 08 丸亀城は石垣も良い。 09 丸亀城から発見できなかったが、丸亀市といえば丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(設計:谷口吉生、1991年)。 ギャラリーから出ました 私は大阪で生まれたのでおそらく一番最初にのぼった天守は大阪城です。高校時代は岸和田城の周辺を走っていました。何も気にせずに過ごした後、岸和田城の天守前にある「八陣の庭」が重森三玲の作と聞いて、「ちゃんと見とけば良かった!」。「なんかあるなー」とは思っていたのですが・・・ 今回、松江城は二回目でしたが、松江城が現存天守であることは初めて知りました。中四国に現存天守は結構たくさん残っていて、上記の他に高知城、松山城、宇和島城があります(中四国で6棟)。後、行けるとしたら姫路城、彦根城あたり。弘前城、松本城、丸岡城、犬山城は頑張らないと行けそうもありません。忘れなければ回ってみたいです。 現存天守を調べていて、残っている地域はのどかな所が多いなーと思っていたのですが・・・第二次世界大戦のアメリカ軍の攻撃により水戸城、大垣城、名古屋城、和歌山城、岡山城、福山城、広島城が焼失(松前城は戦後の失火により焼失)、計8棟が短期間で無くなってしまいました。戦争の愚かさを示す一場面がここにもありました。 いずれにしても400年から1000年近く前の遺構が残っている素晴らしさをかみしめながら、城巡りを楽しんでみてはいかがでしょうか。 松江城 訪問日: 2014年7月16日 13:00~ 備中松山城 訪問日: 2013年2月13日 12:00~ 丸亀城 訪問日: 2014年8月11日 12:00~ To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.
- イサム・ノグチについて|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)
#004-01 イサム・ノグチについて |previous| |next| 第四回の訪問地は、香川県高松市です。イサム・ノグチ庭園美術館は高松市牟礼町にあるので、岡山からは車で2時間足らずで到着する場所です。ただこの美術館、ふらっと行っていつでも入ることが出来る美術館ではありません。見学希望日の約10日前までに往復はがきに必要事項を記入して予約申し込みをしなければなりません(開館日時は火・木・土曜日の午前10時、午後1時、午後3時の一日3回)。「事前予約をしてわざわざ見に行く価値があるのか?」と問われたとしても、「是非、行くべき所です。段取りを組みますのでスケジュールを合わせて一緒にいきますか?」と答えたくなる美術館です。2004年に訪れてから今回でまだ2回目ですが、色々な人とまだまだ来てみたい場所の一つです。まずはイサム・ノグチ庭園美術館の周辺(01~05)を散策。 01 イサム・ノグチ庭園美術館内は撮影不可で、この周辺のみ撮影可能。 02 見学まで周辺をぶらぶらして待つ。 03 左奥の展示蔵に代表作の「エナジー・ヴォイド」(1971年)がある。 04 美術館周辺にはイサム・ノグチの遊具も。 05 この建物が美術館の受付兼集合場所兼ミュージアムショップ。 ギャラリーから出ました イサム・ノグチ(1904-1988)は彫刻家として著名な人物ですが、インテリアデザインや造園・作庭の分野などにも多くの影響を与えてきました。氏の作品を見るときに「日本人にはないアメリカ」、「アメリカ人にはない日本」を感じます。そして、それは非常に大きな魅力であるとともに、氏にとって大きな葛藤になったのではないかと想像します。例えば照明器具の「AKARI」シリーズは、使用している材料(竹ヒゴ、和紙など)や作品全体に和の雰囲気が感じられます。しかし、純粋に和とは言い切れない不思議な感覚が沸いてくるのは、フォルムの美しさとは別に、日本人でありアメリカ人でもあることの何かが感じ取れるからではないか・・・。「AKARI」シリーズが和室だけではなく色々なシーンにマッチするのは、和の中にほのかに洋を纏っているか、恒久的なものを纏っているからではないかと・・・。 また、石を用いた彫刻作品のほとんどの材質は花崗岩か玄武岩です。氏がアトリエとして居を構えた牟礼町は庵治石(花崗岩)の産地。イサム・ノグチ庭園美術館内にある「イサム・ノグチの墓石」やパリ、ユネスコ本部にある「ユネスコのための庭園」に用いられている石は岡山県産の万成石(花崗岩)です。「土門拳記念館の庭」や「広島の原爆慰霊碑(実現せず)の模型」では玄武岩が用いられています。日本人にもっともなじみの深い花崗岩(御影石も花崗岩、墓石は花崗岩が多い)や玄武岩(六方石も玄武岩、城崎温泉近くにある玄武洞から玄武岩が命名されたらしい)を地球上の様々な場所で好んで用いたことは、良質であったことは勿論ですが、日本を意識し続けた結果ではないかと・・・。 このイサム・ノグチ庭園美術館で作品を鑑賞していると色々な思いが駆け巡ります。鑑賞時間は約1時間ですが、あっという間に過ぎてしまった印象です。季節をかえて訪れてみても楽しいでしょう。館内の作品とは直接関係ないのですが、牟礼のアトリエを整備するにあたりユーカリの木が植樹されたそうです。その木が現在30mを超える巨木に生長していました。この話を聞いたとき、広島城にあるユーカリの木が原爆の熱線に耐え、生き続けている事を思い出しました(当時ユーカリが輸入されていた事、お城にオーストラリア原産の樹種を植えた事、70年耐え続けた事が衝撃でした)。その場にそぐわないかもしれないモノが年月を経て、全く違和感なくおさまっている情景は広島城と同じでした。 イサム・ノグチ庭園美術館は撮影できる箇所が限定されいます。良い意味で解釈すると、記録より記憶に残せということでしょうか?画像3枚ですと少し寂しいので、今までに訪問し撮影したイサム・ノグチ関連の画像を以下に掲載いたします。 香川県(06~08)、広島県(09、10)、岡山県(11)、東京都(12)、神奈川県(13)、北海道(14)。 イサム・ノグチの最大の作品であるモエレ沼公園(2005年、北海道)。マスタープランを完成させてノグチは世を去ります。意志を引き継いだ人々の17年にも及ぶ協同作業によって、2005年7月、グランドオープン。2013年に念願かなって、やっと訪れることが出来ました(15~27)。 06 高松空港の入り口にある「time and space」(1989年、香川県)。想像以上に大きい作品。氏が亡くなられたのが1988年なので、完成を見ること無くこの世を去ったことになる。 07 「time and space」から北へ約500mにある壁面石組。「time and space」と同時期に制作された作品。 08 「アーケイック」(1981年、香川県)。撮影当時(2006年)は香川県庁舎本館2Fにあったが、現在は香川県立ミュージアム1Fへ移設されている。 09 平和大橋の欄干デザイン。「Tsukuru つくる」(1951-52年、広島県)。 10 西平和大橋の欄干デザイン。「Yuku ゆく」(1951-52年、広島県)。 11 「山つくり」(1982年、岡山県)。大原美術館・分館前の庭にオーギュスト・ロダン、ヘンリー・ムーア作品などと共に展示されている。美術館に入館しなくても気軽に見ることが出来る。 12 東京国立近代美術館にある「門」(1962年、東京都)。撮影当時(2013年)は朱色と黒色の二色だが、不定期で塗り替えられる(朱/黒 or 青 or 黄/黒の3パターン)。 13 「こけし」(1951年、神奈川県)。神奈川県立近代美術館 鎌倉の中庭中央に展示されている。 14 「ブラック・スライド・マントラ」(1992年、北海道)。大人も子供も滑って遊べて楽しめる作品。 15 モエレ沼公園の全体map。広さ189haなので、一日で全てをじっくりみることは不可能に近い。 16 「ガラスのピラミッド HIDAMARI」。夏はやはり暑い。 17 「モエレ山(標高62.4m)」を登り「プレイマウンテン」と「アクアプラザ」を見る。 18 「モエレ山」の頂上から「海の噴水」を見る。その奥に「モエレビーチ」が見える。 19 「アクアプラザ」。奥に「プレイマウンテン」が見える。 20 「プレイマウンテン」の麓に「ミュージックシェル」が。 21 「テトラマウンド」。円いマウンドに寝転がれば自然と彫刻を体感できる。 22 「テトラマウンド」。ステンレス柱の大迫力。 23 「プレイマウンテン」。天気も良く本当に素晴らしい光景。 24 「プレイマウンテン」の西斜面。99段の石段(花崗岩)と芝が頂上まで。 25 「プレイマウンテン」の東斜面はカーブした緩やかなスロープ。 26 「サクラの森」。個性的な遊具があり誰もが楽しめる魅力的なスペース。 27 「サクラの森」。少々老朽化が進んでいる。使用禁止の遊具もあった。 ギャラリーから出ました 今まで訪問した場所でお薦めするとしたら、イサム・ノグチ庭園美術館とモエレ沼公園を挙げます。モエレ沼公園は子供たちが縦横無尽に駆け巡り、自由に遊びまわっている印象で、大きくて広くて斬新で感激するのですが、使う人たちが主役。そこに素晴らしさを感じました。良いものは良いという単純でありながら、難しい問題を力強く乗り越えている感じがしました。”雪のモエレ沼でスキーかソリかスノボ”、なかなか魅力的な響きですが、実現は難しそうです。 参考資料:「イサム・ノグチ庭園美術館」、「イサム・ノグチの世界」、「モエレ ACCESS MOERENUMA PARK」、「イサム・ノグチ生誕100年」、「イサム・ノグチ 世界とつながる彫刻展」、「CASA BRUTUS No.47」、「CASA BRUTUS EXTRA ISSUE A CENTURY OF ISAMU NOGUCHI」他 イサム・ノグチ庭園美術館の訪問日:2015年01月13日 10:00~ To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.
- 体力の続く限りペダルを回す(直島その4)|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)
#005-04 体力の続く限りペダルを回す(直島その4) |previous| |next| ベネッセハウスミュージアム周辺を見学した後は家プロジェクトが行われている本村周辺へ。その後、島に現代アートが来る前の象徴的公共建築群をサラッと見て宮ノ浦周辺へ。自転車ならではのルートで島を周遊し、最後に、余力は無かったのですがショートカットでもう一周。体力の続く限りペダルを回し続け直島を堪能しました。 家プロジェクト内にある護王神社/アプロプリエイト プローポーション(01~05)と杉本博司氏の別作品(06~08、数寄の家、HOUSE VISION 2013 TOKYO EXHIBITION)もご紹介。続いて、「南寺」/バックサイド・オブ・ザ・ムーン(ジェームズ・タレル、09、10)、ANDO MUSEUM(設計:安藤忠雄、2013年、11、12)、「はいしゃ」/舌上夢/ボッコン覗(大竹伸朗、13)、直島銭湯「I♡湯」(大竹伸朗、14)へ。 01 護王神社。少し上ったところにある。 02 神社の改装に合わせて杉本氏が設計。本殿と拝殿は伊勢神宮など初期の神社建築の様式を引用。 03 別角度から。 04 地下へと延びるガラスの階段。光学ガラスを用いている。 05 地下室への入り口。撮影可能なのはここまで。 06 HOUSE VISIONにて。住友林業とのコラボレーションで生まれた。 07 テーブルやスツールの脚部に光学ガラスが用いられている。 08 展示会場がアスファルト舗装上だったため、植栽、特に地被類は適さない印象。苔の乾燥を防ぐため湿度を保つスタッフの努力が見られた。 09 南寺。木造建築は安藤忠雄の設計(1999年)。こここそ、体感しないと分からない場所。 10 作品を見るための長い列ができるときも。 11 ANDO MUSEUM。小さい。が、見ごたえあり。 12 内部は打ち放しコンクリートの限界に挑戦している。 13 はいしゃ。自由の女神像の大迫力は一見の価値あり。 14 I♡湯。本村ではないが宮ノ浦にある。今回、中には入っていないが実際に入浴可能。 ギャラリーから出ました 家プロジェクトは、上述の3軒(ANDO MUSEUMは本村にありますが、家プロジェクトには含まれません。)の他に「石橋」(千住博)、「碁会所」(須田悦弘)、「角屋」(宮島達男)、「ぎんざ」(内藤礼)の計7軒があります。ちなみに「ぎんざ」は曜日が決まっていて要予約ですので、まだ入ったことがありません。どれか気に入った作品だけを見るのもよし、まとめて全てを見るのもよしです。 今やアートの聖地と化した直島ですが、1980年代までは多数の公共建築群が直島の象徴でした。現代のアートも素晴らしいのですが、少し前の建築物もかなりアートな感じで素晴らしいです。直島に来島した際はその両方を見聞き感じてほしいです。直島町役場(設計:石井和紘、1983年、15~18)、直島小学校(設計:石井和紘、1970年、19)、直島中学校(設計:石井和紘、1979年、20)。 15 直島町役場。北側のファサード。このデザインにOKを出した当時の町長に拍手。外部もそうだが、内部の議場はもっと驚愕らしい。 16 左奥の階段の開口部の輪郭は、仁和寺の「宝相華蒔絵宝珠箱」らしい。 17 南側のファサード。外壁はコロニアル張り。 18 さざえ堂や築地本願寺などの引用も。 19 直島小学校。石井氏の直島での最初の作品。この時26歳の若さ。 20 直島中学校。他に直島幼稚園、直島保育園などを設計。 ギャラリーから出ました 直島では、1992年にベネッセハウスがオープンしてから現代アートのムーブメントが起こり始め、1998年に家プロジェクトが開始されました。今までは福武書店(当時)が所有する私有地などを整備して、アート作品の展示を行っていましたが、家プロジェクトは元々ある直島の古い家屋などを改修・改装し、集落全体をアート化し、集落に住む人々をも巻き込みました。この一企業が発し続けた熱意が、島ごと巻き込む力となり周辺の島々にも波及していきました。豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島がアートの島に、その島へとアクセスする港として高松港、宇野港などもアート作品を身近に感じることが出来るようになりました。アーティストもその力に感化され宮ノ浦周辺、ベネッセハウス周辺、本村周辺に重複して作品を残しています。地中美術館のウォルター・デ・マリア氏の作品はベネッセハウス周辺に、ジェームズ・タレル氏の作品は本村周辺(家プロジェクト)にもあります。同様に須田悦弘氏、大竹伸朗氏、杉本博司氏の作品はベネッセハウス周辺と本村周辺(家プロジェクト)にもあります(大竹氏にいたっては宮ノ浦周辺にも作品があります)。更に宮浦港の海の駅なおしまを設計したSANAAの西沢立衛氏は、本村周辺で本村ラウンジ&アーカイブの空間デザインを行い、豊島で内藤礼氏とのコラボレーションした豊島美術館(2010年)を完成させました。SANAAのもう一人の建築家、妹島和世氏は犬島でアーティストとコラボレーションしながら多くの建築作品を残しています。2010年から始まった瀬戸内国際芸術祭は2013年、2016年と3年毎に来場者数を増加させ、更に充実した内容になっていくでしょう。今後は人の少ない期間をねらって直島以外の島も巡っていく予定です。 参考資料:「瀬戸内・直島アートの旅 ガイドブック」、「HOUSE VISION 2013 TOKYO EXHIBITION」、「ポストモダン建築巡礼」他 訪問日:2015年05月13日 13:30~ To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.
- 淡路島のRC造建築物|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)
#007 淡路島のRC造建築物 |previous| |next| 丹下健三生誕100周年プロジェクトの一つ、「丹下健三 伝統と創造-瀬戸内から世界へ」展(香川県立ミュージアム、2013年7月20日-9月23日)を見学した際、初めて淡路島に氏の設計した建築物があることを知りました。若人の広場公園(当時は戦没学徒記念館。設計:丹下健三、1967年)は様々な経緯があり(後述)閉鎖していましたが、戦後70年にあたる2015年3月に整備が完了し、再び開園しました。今回念願かなって訪れることが出来ました。あとの二か所は二度目の見学ですが、真言宗本福寺水御堂(設計:安藤忠雄、1991年)と淡路夢舞台(設計:安藤忠雄、1999年)です。前回の訪問(2004年)からどれほどの変化があるのか楽しみです。 まずは若人の広場公園(01~10、11~21)から。その後、真言宗本福寺水御堂(22~28)と淡路夢舞台(29~36)へ。 01 若人の広場公園。右(南側)が管理棟で左(北側)が記念塔。 02 管理棟外観。厚みのある花崗岩の石貼りが美しい。 03 管理棟外観。再整備前と外側は大きく変わっていない印象。 04 管理棟入り口周辺。RC造のヴォールト天井(その1)。 05 管理棟展望台から記念塔を眺める(その1)。 06 標高145mの大見山に位置するこの公園は眺望がすばらしい。北東に福良湾が見える。 07 管理棟展望台から記念塔を眺める(その2)。 08 再利用されたであろう敷石。 09 管理棟から階段を降りて、少し歩いてから階段を上って記念塔へ。山の形状に沿って配置されている。 10 記念塔への通路は参道の様になっている。 11 竣工当初からある銘板。 12 記念塔は、学生の象徴としてペン先をモチーフにしたとされている。 13 記念塔全景。高さ25mのRC造のHPシェル(双曲放物面シェル)構造。足元に永遠の灯がある。 14 空に延びる記念塔。 15 参道の両脇にはサクラが。花の時期に訪れると厳かな雰囲気の中に華やぎがあるのでは。 16 RC造のヴォールト天井(その2)。美しい躯体はそのままで表面を処理した印象。 17 管理棟に入る手前で振り返る。厳格さや意志の強さが感じられる記念塔の鋭い先端部分。 18 RC造のヴォールト天井(その3)。 19 RC造のヴォールト天井(その4)。 20 管理棟内部。ヴォールト天井と石の組み合わせは神秘的で荘厳。 21 展示物に目を向けると、生々しい過去の記録が。 22 真言宗本福寺水御堂入口。直線のRC造(打ち放し)の壁に一ケ所開いた入口。 23 入り口の壁をくぐると弧を描いたRC造(打ち放し)の壁が続く。蓮池はまだ見えない。 24 弧を描いたRC造(打ち放し)の壁が終わると楕円形の蓮池が。 25 全てを見せきらないことで期待感が沸き、見事に誘導される。 ギャラリーから出ました 若人の広場公園(当時は戦没学徒記念館)は、太平洋戦争下で勤労動員され、亡くなった学生たちの歴史を伝え、慰霊する場をつくりたいという施主(財団法人動員学徒援護会)の意向を受けて丹下健三氏が設計を行いました。しかし、竣工式に海上自衛隊の艦船が並ぶことを知った丹下氏は、依頼時の説明とは異なるこの施設の政治的扱いに反発し、作品発表を行いませんでした。この作品が世にあまり知られていない理由の一つです。それに加え経営難等で1994年に閉園状態になり、1995年の阪神・淡路大震災により廃墟化が一層進みました(丹下健三氏の建築物としてよりも兵庫県のやばい廃墟スポットとして有名だったようです)・・・ 閉園から19年後の2013年、多くの再開を望む声を受け南あわじ市が再整備に着手し、2015年3月に完成、再び開園しました。一度消えた永遠の灯には今も恒久平和を願う火が灯り続けています。戦後70年、市制10年、丹下健三氏没後10年が2015年にあたるので、再開の年として最も良い年だったかもしれません。 整備された公園は景色も建築物も素晴らしい空間です。新しさと古さが混在していますが開園してすぐということもあり、どこを切り取っても新しく美しい姿が目立ちました。特にRC造の記念塔(表面は新しくなっていますが)は、それが48年前の建築物とは思えないほどの美しさです。管理棟の内部もRC造のヴォールト天井が印象的で丹下氏のRC造に対する飽くなき挑戦が見て取れます。必ず訪れるべき場所だと思いますが、立地条件とテーマの重さから訪問者数は少ないと思われます。展示物にはショックを受けるものもあり、考えさせられて少し暗い気持ちになりました。広島平和記念公園、長崎の平和公園、沖縄県営平和祈念公園のような大規模な施設ではないので、ここだけを目的で来る人も少ないでしょう。歴史を刻みながら有効に活用されることを願います。当日の見学者は我々のみ、「建築関係の方ですか?」と係りの方に聞かれた事が印象に残りました。 次に訪れた真言宗本福寺水御堂は安藤忠雄氏の設計意図がはっきりしている建築物だと感じました。「入り口を一ケ所にして狭める(移動箇所の限定) → 見せたいものをギリギリまで見せない(長い誘導路) → 見せる瞬間、パッと視界が広がる(場面転換その1) → 次の移動は水面を見ながら地下へ(場面転換その2) → 階段を降りることにより日常から非日常へ」といった移動による大胆な場面転換がこの建築物の魅力だと感じました。階段を降りた先は撮影ができませんが、色の場面転換を行っています。RC造(打ち放し)のグレーからホワイト色が内部の朱色へ変換され、大胆かつ美しい場面転換となっています。そこに太陽の光とそれを受けた影が加わり、得も言われぬ非日常空間を演出しています。竣工して24年、コンクリートの汚れとクラックが目立ちつつあります。構造的なクラックでなければこのままでも良いかもしれませんが、どこかで手を入れる時期に来ているのかもしれません。 最後に訪れた淡路夢舞台は全長1km、広さ28haもあり数時間では周りきれないほどの大きさです。その中で気になった点を一つ。それは植物の重要性です。好みが分かれるかもしれませんが、コンクリートの壁に吸着したツタなどの植物が建築物を覆う姿は、建築物の固さを取ってくれて柔らかく包み込んでいるように映るので、美しいと感じます。これからも建築物に吸着している植物を取り除かず、そのまま育ててくれることを願います。高木も育つだけ高く、大きく育てるべきです。この公園は主にRC造で空間形成を行っています。単一素材の潔さ、美しさは認められますが、冷たさが強く映るように感じます。緑でその冷たさを補完する必要があり、不定形の美しさをもつ植物群はその担い手として十分力を発揮するでしょう(今回訪れた時期が11月の曇天で時間は16時ぐらいということを差し引いても)。 今回はやはり、最初に訪れた若人の広場公園が最も印象に残っています。紆余曲折の末、現在の運営となっているので、今後悲しい結末をむかえないためにも展示内容の重要性と建築物の重要性を並行して伝え、受け継がれることを切に願います。 参考資料:パンフレット(若人の広場公園)、「丹下健三 伝統と創造-瀬戸内から世界へ」、「Tadao Ando 安藤忠雄の建築3」他 訪問日:2015年11月10日 To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.
- 体力の続く限りペダルを回す(直島その2)|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)
#005-02 体力の続く限りペダルを回す(直島その2) |previous| |next| 宮浦港から電動アシスト自転車に乗り地中美術館へ。多少のアップダウンはありますが、10~15分で到着できます。地中美術館を見学した後は李禹煥美術館、ベネッセハウス ミュージアム周辺へ向かいます。 地中美術館周辺と関連する画像を掲載(01~04)。 李禹煥美術館周辺と関連する画像を掲載(06~10)。そして、今までに訪問し撮影した安藤忠雄氏設計の建築物の画像(11~22)をこの機会に掲載いたします。 01 地中美術館(設計:安藤忠雄、2004年)。館内は撮影不可の為、撮影できるのは正面入り口とチケットセンターのみ。2005年撮影の正面入り口。 02 2015年撮影のチケットセンター。経年変化を感じる。 03 撮影できるジェームズ・タレル作品をご紹介。金沢21世紀美術館(設計:SANAA、2004年)にある「Blue Planet Sky」。無料で鑑賞可能。 04 画像はないが熊本市現代美術館の「MILK RUN SKY」(2002年)を見つけた時は驚いた(こちらも無料で鑑賞可能。)。 05 李禹煥美術館(設計:安藤忠雄、2010年)。竣工してさほど時間が経っていないので、地中美術館の打ち放しコンクリートの壁よりもこちらの方が美しい。 06 天気が素晴らしく良い日に訪問できた。 07 「関係項-点線面」。六角形のコンクリート柱は日時計になっていて高さは18.5mにも及ぶ。床に敷かれている大きめの白い砂利は固定されていて動かない。地中美術館の「三角コート」に敷き詰められた石も固定されていた。運営上止むを得ない事だと思うが、鑑賞する側としては別の方法があっても良かったと感じる。 08 打放しの壁、青い空、緑の対比が素晴らしい。次の展開を期待させる誘導路。 09 直島以外の李禹煥作品を。「関係項」、札幌芸術の森。直島や神奈川県立近代美術館の様に作品として主張する展示も良いが、緑の中にある姿も良い。 10 直島以外の李禹煥作品を。「項」、神奈川県立近代美術館 鎌倉館。 11 21_21 DESIGN SIGHT(2007年、東京都港区)。 12 アサヒビール大山崎山荘美術館(1995年、京都府大山崎町)。 13 大阪文化館・天保山(1994年、大阪市港区)。旧サントリーミュージアム 天保山。 14 大阪府立近つ飛鳥博物館(1994年、大阪府南河内郡河南町)。 15 姫路文学館(1991年、兵庫県姫路市)。現在改装工事中で2016年夏、リニューアルオープン予定。 16 兵庫県立木の殿堂01(1994年、兵庫県美方郡香美町)。 17 兵庫県立木の殿堂02(1994年、兵庫県美方郡香美町)。 18 兵庫県立こどもの館(1989年、兵庫県姫路市)。 19 南岳山光明寺(2000年、愛媛県西条市)。 20 四国村ギャラリー(2001年、香川県高松市)。 21 高梁市成羽美術館(1994年、岡山県高梁市)。 22 おかやま信用金庫 内山下スクエア(2013年、岡山市北区)。 ギャラリーから出ました ”安藤忠雄”=”打ち放しコンクリートの建物”として脚光を浴びたのが、住吉の長屋(1976年)。以来約40年。常に挑戦し続け、第一線で走り続けている、有名な建築家の一人です(日本でも、世界でも)。上述の二つの美術館(地中美術館、李禹煥美術館)の他にベネッセハウス ミュージアムなど(1992年、1995年、2006年)、南寺(1999年)、ANDO MUSEUM(2013年)が直島にはあります。これらの建築物もほとんどが打ち放しコンクリートを採用しています。打ち放しコンクリートは、自由度、抜群の存在感、ノスタルジックな廃墟感、単一素材が持つ潔さ、といったプラス面と重々しさ、寂しさ、淡白さ、といったマイナス面をもった素材です(あくまでも私見です)。それに加えて、施工の難しさ、経年変化による劣化、クラックなど、コンクリートの特性とむき出しであるが故の事象も起こっていきます。全ての面を鑑みても、打ち放しコンクリートを採用し続けるのは、不完全な魅力がそこにあるからではないでしょうか。李禹煥氏との対談の中で、「龍安寺の石庭も、要素を限定した枠組みの中で、一つの世界観の表現に挑戦した庭ですが。今にいたるまで人々の心を惹きつけ続けている。・・・」とあります。これは李禹煥美術館を設計するときに目指したことかもしれませんが、打ち放しコンクリートに対する考え方、引いては氏の設計観を表しているのではないでしょうか(ある限られた条件、素材の中でどれくらい限界まで表現し続けられるかということ)。 それにしても、昨日打ち放し、今日も打ち放し、明日も打ち放し・・・。もうええ!打ち放しコンクリート以外の建物を設計したい!とは思えないほど、”安藤忠雄”=”打ち放しコンクリートの建物”となってしまったのでしょうか。 参考資料:「瀬戸内・直島アートの旅 ガイドブック」、「Esquire 5 アートの聖地巡礼。」、「李 禹 煥 美 術 館」、「Chichu Art Museum」、「Tadao Ando 安藤忠雄の建築3」、「藤森照信の美術館三昧」他 訪問日:2015年05月13日 10:00~ To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.
- 体力の続く限りペダルを回す(直島その3)|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)
#005-03 体力の続く限りペダルを回す(直島その3) |previous| |next| 李禹煥美術館からベネッセハウス ミュージアム周辺へ。1980年代後半から始まった「直島文化村構想」の出発点ともいえるベネッセハウス ミュージアム(設計:安藤忠雄、1992年)。周辺施設が増え、来るたびに姿を変えて来島者を楽しませています。ベネッセハウス ミュージアム周辺を見学した後は家プロジェクトを行っている本村周辺へ向かいます。 ベネッセハウス周辺を巡る(01~14)。 01 ベネッセハウス周辺の風景。木々に埋もれているが、ベネッセハウス ミュージアム(設計:安藤忠雄、1992年)とベネッセハウス オーバル(設計:安藤忠雄、1995年)が少し顔を出している。階段の下にはウォルター・デ・マリア氏の作品がある。 02 ベネッセハウス周辺の風景。 03 「見えて/見えず 知って/知れず」(ウォルター・デ・マリア)。来島者のほとんどが地中美術館を訪れるだろう。地中美術館内の「タイム/タイムレス/ノー・タイム」(ウォルター・デ・マリア)と共にこちらも訪れるべきスポット。 04 「三枚の正方形」(ジョージ・リッキー)。可動する三枚のステンレス板。 05 「茶のめ」(片瀬和夫)。 06 「シップヤード・ワークス 船尾と穴」(大竹伸朗)。 07 ベネッセハウス ミュージアムへの動線。壁に自然石のトラバーチンを張っている(当時の安藤作品にはあまり無いはず)。 08 壁に掛けられている写真は、杉本博司氏の作品、「タイム エクスポーズド」。同じシリーズンの作品が屋外に二点展示されている。 09 ミュージアム内の「天秘」(安田侃)。 10 ベネッセハウス ショップの手前に「腰掛」(ニキ・ド・サン・ファール)が。ショップを抜けて、スパ、ベネッセハウス パークへ。 11 ベネッセハウス ショップ前から広場、海を眺める。右手前に「腰掛」(ニキ・ド・サン・ファール)、奥にニキ・ド・サン・ファール氏の作品と「かえると猫」(カレル・アペル)、「南瓜」(草間彌生)が微かに見える。 12 ベネッセハウス パーク内には「苔の観念」(杉本博司)が。 13 「南瓜」(草間彌生)。町営のバスで行くと、宮浦港~本村~つつじ荘というルートを辿る。宮浦港で最初に見えるのが「赤かぼちゃ」(草間彌生)で、つつじ荘から歩いてベネッセハウス方面へ進むと「南瓜」が見えてくる。島の入り口が赤、ミュージアムの入り口が黄色。 14 「もうひとつの再生 2005-N」(三島喜美代)。手前のペットボトルと比較すると作品の大きさがわかる。バスや徒歩ではなかなか行くことが出来ない場所にある。 ギャラリーから出ました ベネッセハウス ミュージアムで安田侃氏の作品に出会ってから約10年。ずっと行きたいと思っていたアルテピアッツァ美唄(北海道美唄市、15~27。28は札幌芸術の森、29は札幌市の中島公園)に行くことが出来ました。安田侃氏の作品画像をこの機会に掲載いたします。 15 アルテピアッツァ美唄。水の広場。手前から「天モク」、「天聖」。 16 「胸いっぱいの呼吸(いき)」。手前のベンチのようなものも気になる存在。 17 「天聖」。 18 ギャラリー(旧校舎)。手前から「天秘」、「妙夢」、「風」、「相響」。 19 「新生 生誕」。 20 「帰門」。 21 「妙夢」。 22 アートスペース(体育館)。左端「無何有」、手前「回生」、左奥「無何有Ⅲ」、右奥「無何有Ⅱ」。 23 「真無」。 24 「天秘」。ウッドデッキにも不思議とマッチする。 25 「妙夢」。奥に「真無」が。 26 手前「天聖」、奥に「天モク」。 27 「天翔」。 28 「間」。札幌芸術の森にも作品がある。 29 「相響」。中島公園にも。 ギャラリーから出ました ベネッセハウス周辺には屋内、屋外を問わず様々な作品が多数展示されています。それらすべてを見るにはかなりの時間を要するので、時間のある方は何泊か滞在してじっくりと体感することをお勧めいたします。 アーティストが直島の自然や周辺環境をどう理解しどう表現していくかといった試み(サイトスペシフィックなどと呼ばれています)は比較的歴史の浅い流れかもしれませんが、日本人が接してきた庭(特に禅宗の庭)に対する考え方と大きな違いは無いように感じました。創り手が庭に景石を据える、樹木を植える時には、その場の空気感や庭に対する思いをできる限り取り込みたいと願います。住まい手はそれらを見て触れて、様々なことを想像しながら成長します。創り手と住まい手、アーティストと来島者の関係にそれほど大きな差はないのです。 ただ、表現方法には多少の違いがあります。日本の庭は自然を抽象化し限られた空間の中に表現する、サイトスペシフィックワークは周辺環境と対峙し自然の中にどっぷりとつかって表現するという違いです(ざっくりとしたイメージですが、「野山の気に入った空間を小さく切り取ってアレンジを加えて置く」と「野山の気に入った場所に気に入った作品をその環境に合うように置く」という違い)。 いずれにせよ、天候の良い日に来島できれば緑も風も心地よく感じられるので、最高の状態で作品を鑑賞できます。2013年から瀬戸内国際芸術祭が始まり、ますます来島者数が増加しています。芸術祭の時期を避けて、晴れ男、晴れ女と一緒に訪問すれば、ゆっくりじっくり過ごすことが出来るでしょう。 参考資料:「瀬戸内・直島アートの旅 ガイドブック」、「Chichu Art Museum」、「Tadao Ando 安藤忠雄の建築3」、「藤森照信の美術館三昧」、「CASA BRUTUS No.79」、「CASA BRUTUS No.100」、「CASA BRUTUS No.114」他 訪問日:2015年05月13日 11:30~ To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.
- 大三島の風景|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)
#002-01 大三島の風景 |previous| |next| 第二回の訪問地は、愛媛県今治市大三島町と広島県尾道市、福山市です。大三島は2010年にところミュージアム大三島(設計:山本英明+DEN住宅研究所、2004年)と今治市大三島美術館(1986年)を訪れているので二回目です。このところミュージアム大三島、名前の通り所敦夫氏が自身のコレクションを寄付して出来上がったミュージアムで、その所氏から伊東豊雄氏が依頼を受けて出来上がったのが、今治市伊東豊雄建築ミュージアム(設計:伊東豊雄、2011年)です。ところミュージアム大三島でチケットを購入した時にスタッフの方が、「岩田健母と子のミュージアムも先生の設計ですよ」と教えてくれたので、そこにも行くことに決めました。 もう一か所の訪問予定地、広島県尾道市、福山市には最近面白い現代建築が色々できていると知り、海沿いを訪れてみました。造船業などを営むツネイシホールディングス(株)が尾道市で運営しているリゾートホテル、ベラビスタ境ガ浜の敷地内にあるリボンチャペル(設計:中村拓志、2013年)と福山市にある二つの社宅、せとの森住宅(設計:藤本壮介、2013年)、Seto(設計:マウントフジアーキテクツスタジオ、2013年)が今回の目的地です。大三島と違い公の場ではない場所も含まれているのでどうなるか分かりませんが、邪魔にならないようにと思いながら車を走らせました。 最初の訪問地はところミュージアム大三島(01~03)です。次に今治市伊東豊雄建築ミュージアム(04~14)へ。最後に少し車を走らせて今治市岩田健母と子のミュージアム(15~22)へ向かいました。 01 ところミュージアム大三島。設計:山本英明+DEN住宅研究所、2004年。「キッシング・ドア」(ノエ・カッツ、2003年)がお出迎え。 02 外階段を降りてそれぞれの展示物へ。 03 入口から下って高低差6.0m。テラスからの景色は最高。※現代彫刻が中心の美術館。彫刻作品に興味がある方は、井原市立田中美術館で、平櫛田中の作品を堪能するのも良いです(平櫛田中賞を受賞された深井隆氏の作品がこのミュージアムにあります。)。 04 今治市伊藤豊雄建築ミュージアム。設計:伊東豊雄、2011年。 05 ミュージアム内のスティールハット。鉄筋コンクリートの基礎の上に、鉄骨と鋼板でできた4種類の多面体を積み重ねた構成。 06 スティールハット接写。福島、大崎上島が見える。 07 スティールハット外観。屋上の一部にテラスがあるが残念ながら入れない。 08 スティールハット室内。テーブルも多面体。 09 ミュージアム内の屋外展示物。左手前が「MIKIMOTO Ginza2」、右奥が「多摩美術大学図書館」。 10 ミュージアム内の屋外展示物。「多摩美術大学図書館」。 11 スティールハットから見たシルバーハット外観。 12 シルバーハット外観。中に伊東作品の図面を閲覧できるスペースがある。当時のシルバーハット(1984年)は街中で木々に囲まれていたので、今の方が開放的な立地。 13 シルバーハット内。ワークショップスペースとして活躍しそう。 14 シルバーハット外観。東京中野にあった氏の自邸を再生。 15 今治市岩田健母と子のミュージアム。設計:伊東豊雄、2011年。周辺環境も素晴らしい。 16 入口のロゴ。コンクリートの壁が湾曲しているのが分かる。 17 ミュージアム内。コンクリートの壁がぐるっと曲線を描いている。外から中は見えない。 18 ミュージアム内。内部は半屋外空間。見学者が少なかったこともあり、ほぼ独り占めできた。観賞用のベンチも点在。 19 このミュージアムで、中野本町の家(1976年、現存せず)の画像がよぎったが、色々読んでみると異なった考えで設計されているようだ。 20 ミュージアム内。40以上の彫刻が展示されている。囲まれているが、窮屈な感じは受けない。 21 ミュージアム内。別アングルで(その1)。 22 ミュージアム内。別アングルで(その2)。 ギャラリーから出ました 今回の訪問地は、緑豊かな大三島です。そこで三つの美術館を訪問したのですが、「自然の風景と建物及びその周辺との関係をどう表現するのか」という問題を考えさせられました。考え方は大きく分けて二つあると思います。一つは今ある風景と馴染むように新しいモノをつくる。もう一つは今ある風景に対抗した新しいモノをつくる。そして、その度合い(前者寄りになるのか後者寄りになるのか)はその時その時で変化し決定されていきます。風景に馴染むモノは全体の調和がとれているかもしれませんが、インパクトに欠ける場合があります。風景に対抗したモノは主義主張がはっきりしており意図が伝わりやすいのですが全体との調和がとれない場合があります。ただ、この感覚は主観によるところが大きいため、人によっては感じ、人によっては感じないといったあいまいなものも多いです。さらに竣工当初風景と馴染んでいないと感じていたモノもそのモノの経年変化や周辺の変化によって馴染んでいく事もあります。植物の生長は周辺を視覚的に劇的に変化させるアイテムの一つと言えるでしょう。 今回の建物のなかで明らかに異質でインパクトのあるスティールハットが、10年、20年、30年と経過するなかで風景と馴染むようになるのか、インパクトのある状態を保ち続けるのか・・・良い悪いという話ではないので興味深く見守っていきたいです。 最後に訪れた今治市岩田健母と子のミュージアムは、天候と時間と展示されている作品とが相まって暖かく包まれた空間になっていました。ところミュージアム大三島と今治市伊東豊雄建築ミュージアムが大三島の美しい自然と絡めた外に向けた空間づくりであったのに対して、この美術館は外との関係を打ち放しの壁で遮断して中に向けて空間づくりを行っていました。にもかかわらず、三つの中で一番暖かい気持ちになれたのは非常に不思議な感覚でした。 参考資料:「日本の現代住宅 1985-2005」、「CASA BRUTUS No.150」他 訪問日:2014年9月17日 10:00~ To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.
- 隠れた名所、四国村|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)
#004-02 隠れた名所、四国村 |previous| |next| イサム・ノグチ庭園美術館の次は四国村を訪れました。何々村といえば真っ先に思い浮かぶのが愛知県犬山市にある明治村。昔の有名な建物が多く展示されている場所といえば東京都小金井市にある江戸東京たてもの園。認知度は低いかもしれませんが、四国各地から移築された民家33棟が復元された四国村も見るべき場所の一つです。 01 石積み、石の階段、石敷きなどいたるところで石を使用している。 02 砂糖しめ小屋。四国村の中で最も印象に残った建物。機能的でかわいくて国籍不明な点が魅力。 03 四国村ギャラリー(設計:安藤忠雄、2002年)。室内の絵画、彫刻作品などを観た後、長い廊下を抜けると水景庭園が現れる。 04 四国村ギャラリー(設計:安藤忠雄、2002年)。 05 傾斜なりに段々と水が流れていく。スケールが全く異なるが同時期の淡路夢舞台の「百段苑」を連想させる。 06 残念ながらベンチはこの空間には合っていない。 07 今回は建物や庭よりも様々な石の使い方に魅力を感じた。 08 石敷き。 09 石積み。 10 旧 下木家住宅。 11 染が滝(流政之作)。 12 旧 中石家住宅。 13 旧 丸亀藩御用蔵。美しいなまこ壁。 14 石の階段。 15 石の階段。 16 旧 福井家石蔵。壁面も石、床も石。 17 アーチ橋。モルタルでの補修跡が残念。 18 醤油蔵、麹室。 19 旧 前田家土蔵。素晴らしい左官技術に感心する。 20 最後も石積み。 ギャラリーから出ました 広さ50,000㎡。高低差があり、全てゆっくり見て周ると2時間以上かかります。若くて、興味が合って、足腰に自信のある人にはお勧めのスポットです。寒い時期で平日のためか、イサム・ノグチ庭園美術館で一緒に見学した外国人旅行者二名と他数名にしか会いませんでした。「良いものがある=人気がある」とはならない・・・難しい問題がここにもありました。こういった貴重な文化財を見るたびに思うことは、技術の伝承についてです。石積み、石敷き、石組みを行う中で、セメントを使用せずに石を扱える職人が今後どれくらい残れるのか?技術を持った職人に技術を発揮できる場をどれくらい供給できるのか?石工事に限らず、左官や大工なども同じことです。新しいものを試しながら古いものも採用できるように、知識と経験を重ねていく必要性を常に感じています。 訪問日:2015年01月13日 12:00~ To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.
- 県内の良い処、建築家による大学施設へ|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)
#008-02 県内の良い処、建築家による大学施設へ |previous| |next| 大学は用事が無ければ行く機会のない場所です。近くにある岡山大学津島キャンパスも犬の散歩以外は行く機会がありません。この度、「IPU環太平洋大学カフェテリアHARMONYオープン記念 安藤忠雄建築ツアー」が行われ、初めてIPU(環太平洋大学)を訪れました。岡山大学でもSANAA(妹島和世氏と西沢立衛氏による建築家ユニット。以前、column#005-1 に掲載。)の建築作品が完成しているので、津島キャンパスと鹿田キャンパスを訪れました。少しずつ、大学が変わろうとしているのでしょうか?まずは岡山大学から紹介いたします。 岡山大学、津島キャンパスにあるパーゴラ(01~03)とJunko Fukutake Terrace(04~08)。続いて岡山大学、鹿田キャンパスのJunko Fukutake Hall(09~14)へ。そして、IPU(環太平洋大学)へ。駐車場からIPUを見る(15)。PHILOSOPHIA(16~22)からTOPGUN(23~25)、最後にHARMONY(26~28)へ。 01 岡山大学、津島キャンパス内にあるパーゴラ。一枚の鉄板が一つながりになっているかの様。 02 柔らかい曲線の中に樹木が点在している。樹木が大きくなればより良い空間に。 03 柱の長さを変化させて屋根面の高さを緩やかに変化させている。 04 Junko Fukutake Terrace。ガラスで囲まれたカフェ。開放的な雰囲気。 05 カフェはどなたでも利用することが出来る。 06 カフェと休憩スペースが同じ屋根の中にある。 07 既存の樹木、新植した樹木、芝生の中に建っており、空間のゆとりを感じる。 08 津島キャンパスの正門近くにある。 09 Junko Fukutake Hall。道路から入ってすぐ見える場所にある。 10 屋根と屋根が重なりあう。屋根先の汚れが若干気になるところ・・。 11 ガラスで囲まれており、開放的な印象。 12 屋根に注目してみると微妙に湾曲しているのが分かる。 13 屋根の白、落ち葉の赤。天気が良ければ青空。 14 入り口周辺。手前の低い屋根が「屋根下広場」。 15 IPU(環太平洋大学)。道路から施設を見る。高さを抑えているため、風景に溶け込んでいるように見える。 16 PHILOSOPHIA内のゆったりとした石張スペース(その1)。 17 PHILOSOPHIA内のゆったりとした石張スペース(その2)。 18 PHILOSOPHIA内のゆったりとした石張スペース(その3)。 19 打ち放しコンクリートの壁とスリット。安藤建築の象徴的構造物。 20 PHILOSOPHIAの裏側のスペースが良い雰囲気。 21 PHILOSOPHIAの裏側のスペース。訪れる人は少ないかもしれないが、非常に落ち着く素晴らしい空間。 22 「TOPGUN」から「PHILOSOPHIA」を見る。自然の中に溶け込んでいる。 23 TOPGUN内の廊下。内部には柔道場、剣道場などがある。 24 円形の抜きがかなり効いている。奥の施設に行くときに必ず通る場所。 25 空の道場。この場所でトレーニングを行うこともあるそう。 ギャラリーから出ました 岡山大学津島キャンパスに完成したパーゴラ(2013年)とJunko Fukutake Terrace(2014年)、鹿田キャンパスに完成したJunko Fukutake Hall(2013年)は、形や手法は異なりますが明確なコンセプト「地域に開く」を軸にSANAAによって設計されています。特徴的な屋根と壁を極力なくした開放的な空間は、室内にいながら屋外にいるような感覚やフワッとした軽やかな感覚を生み、まるでアート作品の様です。非日常を体感したい方は是非訪れるべきです。一点、疑問が・・・。どの施設もおそらく樋がありません(発見できなかっただけで実際はあるのかもしれませんが。)。そのため、雨水が集まる箇所に汚れが生じたり、腐りが生じています。完成して数年、今後のメンテナンスはどうされるのかな?と余計な心配をしてしまいました。 安藤忠雄氏が設計したIPU(環太平洋大学)の施設は、前を通るたび一度は見学してみたいと思っていたので、今回良い機会を得ました。アスリート育成の場として生まれた「TOPGUN」(2009年)、セミナーホール(サザンクロス)などがある「PHILOSOHIA」(2013年)、カフェテリア「HARMONY」(2016年)の三施設とまだ計画中の施設もあるそうです。今後の進捗が楽しみです。見学中に感じたことは継続してコンセプトを維持していくことの難しさです。最初の施設「TOPGUN」が完成して7年後に「PHILOSOHIA」が完成しています。その間様々な変化があったはずですが、それぞれの施設はさほど違和感なく繋がっているので、整合性を保つことに非常な努力が必要だったのではないかと思っています。 岡山大学、IPU(環太平洋大学)の施設を見学して感じたことは、「らしい(らしさ)」をどれくらい出していくのか?ということです。岡山大学の三つの施設はパッと見てSANAAの作品では?と思いました。IPU(環太平洋大学)の打ち放しコンクリートの壁とスリットを見て、安藤忠雄氏の設計だなと思いました。おそらくその場その場で考え方や状況が異なるので違うモノをつくっているのかもしれませんが、どこにいっても「らしい(らしさ)」が見え隠れすることをどう解釈するべきか・・・。いつも迷ってしまいます。 参考資料:「Tadao Ando 安藤忠雄の建築3」、「妹島和世+西沢立衛 読本-2013」、「各大学のweb.」他 訪問日:岡山大学津島キャンパス、鹿田キャンパス 2016年11月20日、IPU(環太平洋大学) 2016年4月16日 To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.
- 世界文化遺産 国宝 姫路城|Column(コラム)|Green Scape Lab(GSL)
#006 世界文化遺産 国宝 姫路城 |previous| |next| 今まで紹介した現存天守(松江城、備中松山城、丸亀城:column#001-ot )や今後行くであろう現存天守の中で世界的にも有名な姫路城。高速道路からチラッと見たり、新幹線で通り過ぎることはあっても、訪れたことはありませんでした。今回、観光地として確固たる地位を築いたこの地を訪れ、周辺を散策することができました。 今回の主目的の姫路城(01~11)へ 01 大手門周辺。桜門橋から大天守を望む。 02 大手門周辺の石垣。排水溝に使用されている石も目がいく。 03 三の丸広場から大天守、西小天守等を望む。 04 菱の門。桃山風の花頭窓。姫路城の中でも豪華絢爛な門の一つ。 05 鷺山から大天守、西小天守、乾小天守等を望む。 06 白い。左官技術に脱帽。 07 石垣。他所に比べて新しい印象。 08 角の隙間に石落とし。 09 唐破風、千鳥破風の美しさ。青空であれば城がもっと映えていたはず。 10 補修、昭和三十八年九月、施工会社、石工責任者が刻まれている。目立つ箇所にあるので、見つける人も多いのでは。 11 三国堀から見る天守周辺。絶景ポイントの一つ。 ギャラリーから出ました 姫路城見学後は、姫路城西御屋敷跡庭園 好古園(12~16) → (姫路文学館) → 男山配水池公園(17、18) → 兵庫県立歴史博物館(19、20) → 姫路市立美術館(21~23)へ。姫路城を中心に反時計回りに足を進めました。※姫路文学館(設計:安藤忠雄、1991年)はリニューアル工事で休館中、2016年7月30日オープン予定です。 12 好古園。入り口を抜け、活水軒へ。美しい延べ段が。 13 好古園。御屋敷の庭、南側の大滝。 14 好古園。平成4年開園、約二十数年経ち大分落ち着いた装い。 15 好古園。潮音斎から見た池の眺め。 16 好古園。茶の庭。管理が行き届いており、エッジの処理が良い。 17 この階段を上りきれば男山配水池公園。段数198段! 18 男山配水池公園から大天守を見る。城下町が一望できる場所。階段を懸命に上がった甲斐あり。 19 兵庫県立歴史博物館(設計:丹下健三、1982年)。大天守が移り込む様、設計されているはず(おそらく)。 20 兵庫県立歴史博物館。現代の城をイメージして設計された。 21 姫路市立美術館(1983年)。レンガ積が美しい。 22 陸軍姫路兵器支廠・被服倉庫→姫路市役所→姫路市立美術館へと変遷。 23 姫路市立美術館。奥に大天守が見える。 ギャラリーから出ました たっぷりとしたアプローチ、堂々と迎え入れる懐の深さ。大手門から大天守を最初に見た印象です。「平成の修理」が完了したばかりということもあり、漆喰の白さは際立っています。世界文化遺産、国宝であるが故、平日でも観光客が多く訪れています。ゆっくり天守内を散策することはできませんが一度は訪れるべき場所だと感じました。姫路城を見学した後、別の場所へ移動するのではなく周辺を散策することをお勧めします。建築好きの方ならご存知かもしれませんが、丹下健三氏の建築も安藤忠雄氏の建築も徒歩で回れます。そして、どの場所からも大天守を眺めることが出来るので、様々な角度の姫路城を楽しめます。歴史の詳細は分かりませんが、姫路城を現在の姿に大規模修築したのは、播磨姫路藩、初代藩主の池田輝政でその息子の忠継は備前国岡山藩、初代藩主。閑谷学校などをつくり江戸時代初期の三名君の一人と言われた池田光政は、池田輝政の孫にあたります(三名君、その他は徳川光圀、保科正之)。池田光政の子、綱政は後楽園、吉備津彦神社などを手掛けました。その後池田家は明治、大正、昭和、平成まで岡山の名家として存続してきましたが、初代藩主池田忠継から数えて16代目になる隆政氏(池田動物園園長)がご逝去され、嫡流は途絶えました。現在の岡山市の伝統や文化を池田家が創りその源流が姫路にある。姫路と岡山の深い関係を物語っています。 参考資料:「各種パンフレット(世界文化遺産 国宝 姫路城 特別史跡姫路城跡、姫路城西御屋敷跡庭園 好古園)」他 訪問日:2015年08月20日 To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.












