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#007 淡路島のRC造建築物

 丹下健三生誕100周年プロジェクトの一つ、「丹下健三 伝統と創造-瀬戸内から世界へ」展(香川県立ミュージアム、2013年7月20日-9月23日)を見学した際、初めて淡路島に氏の設計した建築物があることを知りました。若人の広場公園(当時は戦没学徒記念館。設計:丹下健三、1967年)は様々な経緯があり(後述)閉鎖していましたが、戦後70年にあたる2015年3月に整備が完了し、再び開園しました。今回念願かなって訪れることが出来ました。あとの二か所は二度目の見学ですが、真言宗本福寺水御堂(設計:安藤忠雄、1991年)と淡路夢舞台(設計:安藤忠雄、1999年)です。前回の訪問(2004年)からどれほどの変化があるのか楽しみです。


 まずは若人の広場公園から。その後、真言宗本福寺水御堂と淡路夢舞台へ。

若人の広場公園。右(南側)が管理棟で左(北側)が記念塔。

管理棟外観。厚みのある花崗岩の石貼りが美しい。

管理棟外観。再整備前と外側は大きく変わっていない印象。

管理棟入り口周辺。RC造のヴォールト天井(その1)。

管理棟展望台から記念塔を眺める(その1)。

標高145mの大見山に位置するこの公園は眺望がすばらしい。北東に福良湾が見える。

管理棟展望台から記念塔を眺める(その2)。

再利用されたであろう敷石。

管理棟から階段を降りて、少し歩いてから階段を上って記念塔へ。山の形状に沿って配置されている。

記念塔への通路は参道の様になっている。

竣工当初からある銘板。

記念塔は、学生の象徴としてペン先をモチーフにしたとされている。

記念塔全景。高さ25mのRC造のHPシェル(双曲放物面シェル)構造。足元に永遠の灯がある。

空に延びる記念塔。

参道の両脇にはサクラが。花の時期に訪れると厳かな雰囲気の中に華やぎがあるのでは。

RC造のヴォールト天井(その2)。美しい躯体はそのままで表面を処理した印象。

管理棟に入る手前で振り返る。厳格さや意志の強さが感じられる記念塔の鋭い先端部分。

RC造のヴォールト天井(その3)。

RC造のヴォールト天井(その4)。

管理棟内部。ヴォールト天井と石の組み合わせは神秘的で荘厳。

展示物に目を向けると、生々しい過去の記録が。

真言宗本福寺水御堂入口。直線のRC造(打ち放し)の壁に一ケ所開いた入口。

入り口の壁をくぐると弧を描いたRC造(打ち放し)の壁が続く。蓮池はまだ見えない。

弧を描いたRC造(打ち放し)の壁が終わると楕円形の蓮池が。

全てを見せきらないことで期待感が沸き、見事に誘導される。

蓮池中央に階段があり、蓮池の下に本堂がある。

蓮池中央の階段を降りて本堂へ。階段を見上げる。

外から全景を確認。南西方向から水御堂を見る。

淡路夢舞台の代名詞ともなっている百段苑。

百段苑周辺から南東方向を見る。ウェスティンホテル淡路、翼港、遠くに大阪府南部が見える。

百段苑からエレベーター方向を見る。ツタが絡まりコンクリートの存在を消しつある。

空庭。コンクリートの神殿の様。

楕円フォーラム。南西から北東方向を見る。

楕円フォーラム。北東から南西方向を見る。

空庭と山回廊、海回廊に囲まれた植栽帯。竣工から15年以上経ち、植物が建物を覆ってきている

貝の浜。100万枚の帆立貝の貝殻を約1万㎡敷き詰めている。

 若人の広場公園(当時は戦没学徒記念館)は、太平洋戦争下で勤労動員され、亡くなった学生たちの歴史を伝え、慰霊する場をつくりたいという施主(財団法人動員学徒援護会)の意向を受けて丹下健三氏が設計を行いました。しかし、竣工式に海上自衛隊の艦船が並ぶことを知った丹下氏は、依頼時の説明とは異なるこの施設の政治的扱いに反発し、作品発表を行いませんでした。この作品が世にあまり知られていない理由の一つです。それに加え経営難等で1994年に閉園状態になり、1995年の阪神・淡路大震災により廃墟化が一層進みました(丹下健三氏の建築物としてよりも兵庫県のやばい廃墟スポットとして有名だったようです)・・・

 閉園から19年後の2013年、多くの再開を望む声を受け南あわじ市が再整備に着手し、2015年3月に完成、再び開園しました。​一度消えた永遠の灯には今も恒久平和を願う火が灯り続けています。戦後70年、市制10年、丹下健三氏没後10年が2015年にあたるので、再開の年として最も良い年だったかもしれません。

 整備された公園は景色も建築物も素晴らしい空間です。新しさと古さが混在していますが開園してすぐということもあり、どこを切り取っても新しく美しい姿が目立ちました。特にRC造の記念塔(表面は新しくなっていますが)は、それが48年前の建築物とは思えないほどの美しさです。管理棟の内部もRC造のヴォールト天井が印象的で丹下氏のRC造に対する飽くなき挑戦が見て取れます。必ず訪れるべき場所だと思いますが、立地条件とテーマの重さから訪問者数は少ないと思われます。展示物にはショックを受けるものもあり、考えさせられて少し暗い気持ちになりました。広島平和記念公園、長崎の平和公園、沖縄県営平和祈念公園のような大規模な施設ではないので、ここだけを目的で来る人も少ないでしょう。歴史を刻みながら有効に活用されることを願います。当日の見学者は我々のみ、「建築関係の方ですか?」と係りの方に聞かれた事が印象に残りました。

 次に訪れた真言宗本福寺水御堂は安藤忠雄氏の設計意図がはっきりしている建築物だと感じました。「入り口を一ケ所にして狭める(移動箇所の限定) → 見せたいものをギリギリまで見せない(長い誘導路) → 見せる瞬間、パッと視界が広がる(場面転換その1) → 次の移動は水面を見ながら地下へ(場面転換その2) → 階段を降りることにより日常から非日常へ」といった移動による大胆な場面転換がこの建築物の魅力だと感じました。階段を降りた先は撮影ができませんが、色の場面転換を行っています。RC造(打ち放し)のグレーからホワイト色が内部の朱色へ変換され、大胆かつ美しい場面転換となっています。そこに太陽の光とそれを受けた影が加わり、得も言われぬ非日常空間を演出しています。竣工して24年、コンクリートの汚れとクラックが目立ちつつあります。構造的なクラックでなければこのままでも良いかもしれませんが、どこかで手を入れる時期に来ているのかもしれません。

 最後に訪れた淡路夢舞台は全長1km、広さ28haもあり数時間では周りきれないほどの大きさです。その中で気になった点を一つ。それは植物の重要性です。好みが分かれるかもしれませんが、コンクリートの壁に吸着したツタなどの植物が建築物を覆う姿は、建築物の固さを取ってくれて柔らかく包み込んでいるように映るので、美しいと感じます。これからも建築物に吸着している植物を取り除かず、そのまま育ててくれることを願います。高木も育つだけ高く、大きく育てるべきです。この公園は主にRC造で空間形成を行っています。単一素材の潔さ、美しさは認められますが、冷たさが強く映るように感じます。緑でその冷たさを補完する必要があり、不定形の美しさをもつ植物群はその担い手として十分力を発揮するでしょう(今回訪れた時期が11月の曇天で時間は16時ぐらいということを差し引いても)。

 今回はやはり、最初に訪れた若人の広場公園が最も印象に残っています。紆余曲折の末、現在の運営となっているので、今後悲しい結末をむかえないためにも展示内容の重要性と建築物の重要性を並行して伝え、受け継がれることを切に願います。


参考資料:パンフレット(若人の広場公園)、「丹下健三 伝統と創造-瀬戸内から世界へ」、「Tadao Ando 安藤忠雄の建築3」他

訪問日:2015年11月10日 

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