太陽の塔を見学した後、記念公園内のEXPO’70パビリオン(万博開催当時は鉄鋼館、5枚)へ。万博の雰囲気を再現する展示が多数あり、当時の有識者達が思い描いていた「未来」を存分に堪能(12枚)。
EXPO’70パビリオン(万博開催当時は鉄鋼館)を設計した前川國男氏の建築物は岡山にもあります。以前に撮影した各地の前川國男作品をこの機会にご紹介。まずは、岡山市にある前川建築を。岡山県庁舎(1957年、1枚)、岡山県総合文化センター(1961年、現天神山文化プラザ、1枚)、林原美術館(1963年、2枚)。続いて、熊本県立美術館(1977年、2枚)。最後に東京都美術館(1975年、1枚)、前川國男自邸(1942年、江戸東京たてもの園へ移築、3枚)をご紹介。
今回の主目的は、太陽の塔の見学ですが、万博記念公園内には面白くて興味がそそられるモノが数多くあります。1970年開催から50年近くを経て、老朽化や様々な事情により解体撤去されたもの、補修保存されたものがあります。前川國男氏が設計した鉄鋼館は2010年にEXPO’70パビリオンとして生まれ変わり、館内は現在も当時の熱気を感じる事ができます。鉄鋼館内の「スペース・シアター」は現存しており、音楽と光の競演をガラス越しながら見学できます。まさに”空間そのものが楽器”と評されたとおりの体験でした(今見て古いかどうか?結果的に今見ても新しいか?は皆様で判断を)。
1970年当時、万博会場の総合設計を行った丹下健三氏が57歳、テーマ館の総合プロデューサーを担った岡本太郎氏が59歳。会場設営等に関わった著名な建築家たちはそれぞれ、菊竹清訓氏が42歳、磯崎新氏が39歳、黒川紀章氏が36歳、等々みな若い!。スーパーゼネコン(鹿島・清水・大成・大林・竹中)などが施工を担当しているので、このイベントに日本中の建築関係者(特に若い力)が携わったことになります。そんな中、吉田五十八氏(76歳)や前川國男氏(65歳)といった重鎮もパビリオンの設計を担当していました。50代が全体を仕切り、20~40代が現場で走り回り、60代や70代も現場に出つつ見守る。短期間で物凄いエネルギーがそこに集まっていたかと思うと・・・。熱く強いパワーを感じます。
彼らが思い描いた未来から約50年。果たして人類は理想的に進歩し、調和のある世界を築けているのでしょうか?日本にとって1970年は一つの分岐点になったと言えますが、次の2025年はどうでしょうか?「いのち輝く未来社会のデザイン」というテーマをしっかりと理解し、経済に関する事柄のみがクローズアップされない事を祈りつつ。
参考資料:「大阪万博-20世紀が夢見た21世紀」、「岡本太郎にであう旅 岡本太郎のパブリックアート」、「建築家坂倉準三 モダニズムを住む|住宅、家具、デザイン」、「CASA BRUTUS EXTRA ISSUE 新説・あなたの知らない岡本太郎」、「CASA BRUTUS EXTRA ISSUE 日本の美術館ベスト100ガイド」、「CASA BRUTUS No.133」、「藤森照信の特選美術館三昧」、「各種パンフレット+Web.」他
訪問日:2019年1月22日
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