top of page

#001-02 東光園の衝撃

更新日:2022年2月16日

 足立美術館から松江城へ、最後に東光園を訪れました。道中、見たことのある風景が流れてきてびっくり。初めてだと思っていた皆生温泉に数年前、海水浴で来ておりました。あの時のここと今回の目的地がこれほどまでに近いとは・・・。

 東光園は、昭和初期に皆生温泉で創業を開始した由緒ある温泉旅館です。今から50年前の1964年に本館が竣工、菊竹清訓氏(1928-2011)の代表作の一つです。1964年竣工の建築物には、丹下健三氏(1913-2005)の国立代々木競技場や香川県立体育館などがあり、コンクリート構造をいかに美しく見せるかを模索し、実現していた時代ではないかと推察されます。50年の変化を感じながら自分自身がこの建物を見てどう思うか楽しみです。


​ 東光園と出雲大社庁の舎は、菊竹清訓氏が設計した初期の代表作。

全景。温泉街を少し過ぎた後、突如インパクトのある外観が現れる。

全景。

エントランス周辺。近付くとコンクリートの荒々しさも残り、存在感がある。

4階まで伸びている組み柱(主柱と貫で繋がれたサポート柱)。それより上は主柱のみが延びている。

エントランス周辺。組み柱の造形に圧倒される。

室内2階よりロビーを見る。紫色の絨毯、剣持勇デザインのラウンジチェア、組み柱、そして庭園の広がり。

室内でも組み柱の存在感に圧倒される。

ロビーから庭園に出る。

ガラス張りの階段室。形がおもしろい。

階段内部は・・・。少し残念な状態。


庭園は彫刻家、流政之(1923-、香川県在住)の作。センダンが大きく育っている。

庭側は植栽の影響で建物の存在感が和らいでいる。

4階の空中庭園。ここは砂利以外何もない空間。

1~3階が建物、4階が中空、5~7階が建物となっている。

客室前。部屋数はわからないが5、6階は全て和の設え。

出雲大社庁の舎。設計:菊竹清則、1963年。東光園と同じくらいインパクト大。東光園から車で1時間30分ほど。

出雲大社の境内にあるので、参拝後に訪れるべき名所。

 東光園は様々な媒体で話題にあがっていたので、いつかは行きたい場所の一つでした。最近、香川県に行く機会があり、「ジョージナカシマ記念館」で香川在住の流政之氏を知りました。氏の作品を見てみたいという衝動も東光園に行くきっかけの一つでした。  インパクトは色々な意味で非常に大きいものでした。一つ目のインパクトはやはり建物そのもののインパクトです。「1階から3階まで建物があり、4階がまるまる抜けていて、5階から上がまたある。」、「5階、6階は7階にある太い梁からまるごと吊るようにした」。文章や写真だけだといまいちよくわからなかったのですが、その場に立ってみると、なるほどよく分かりました(やはり百聞は一見にしかず)。組み柱は意匠的でありながら、構造的にも成り立っている・・・東光園のシンボル。  二つ目のインパクトはその土地の人々のおおらかさです。宿泊者でもなく温泉を利用するわけでもない者を快く受け入れていただきました。お言葉に甘えて、色々な所で写真撮り、見学させていただきました。細かく見学させていただいたので、うわっと驚くような場面もありましたが、50年経った建物と庭なのでこちらもおおらかに受け流しました。最初に訪れた足立美術館があまりにもきっちりとしていたので、そのギャップがインパクトを大きくしたのかもしれません。  最後は、「建築史的な価値と商業的な価値のバランスをどうとるのか?」を考えさせられてしまいました。たとえ世界的な彫刻家の流政之氏が庭園を手掛けようと、建築家の菊竹清訓氏が建物を設計しようと、昭和天皇が行幸の際に利用されようと、商業的に成り立たなければ継続できません。現在、東光園は紆余曲折を経て星野リゾートが運営していると思われます。今後、どう変化していくのか分かりませんが、次回来るときは宿泊するか日帰り温泉を利用させていただこうと心に決め、帰路に就きました。


​参考資料:「昭和モダン建築巡礼 西日本編」、「菊竹清訓巡礼」、「各種パンフレット+Web.」他

訪問日:2014年7月16日 15:00~

閲覧数:27回

最新記事

すべて表示

Comentários


bottom of page